メンタルオブジェクトの存在証明

某所に載せたのをこっちにも上げて2012年最初の更新にしたいと思います。元々は理由があって書き始めたんだけどその理由は消失してしまったために行き場のなくなった小咄の供養です。

いや、四肢切断ダブルピースは一応なんとか続きを思い付いたから書けるよ!そのうち書くよ!

ところでこの、連載シリーズを放置して書きたいものを書いて言い訳する感じって、2000年代最初のほうのテキストサイトみたいでなんだか懐かしいですね……。







†††


 ……これはファーストフード店で小川真理と御子神都がかわした会話である。

「そういえば、モンゴリアン・デス・ワームって知ってる?」
「モンゴリ――――なんです、それ?」
「ゴビ砂漠周辺に生息するといわれているUMAのこと」
「ユーマ?」
「Unidentified Mysterious Animal――――直訳すると未確認で謎めいた動物、ってところかしら。まあ、それでモンゴリアン・デス・ワームなんだけど、まあワームっていうくらいだからミミズ状の生き物なんだけど1.5メートル近い体躯を持ち、相手を殺す毒液を吐き、さらに電撃まで出せるんだとか。わくわくするわよね」
「はあ……そういうものですか」
「1800年代初頭、ロシア人研究チームによってその存在が目撃され、2005年にイギリスの研究チームによって本格的に捜索が開始された。専門家の見解としては"ほぼ間違いなく存在している"。それがモンゴリアン・デス・ワーム」
「ちょっと小川さんのいうことですから嘘か本当かわかりかねます」
「残念ながらこんな作り話ができるほどのセンスは持ち合わせていないわ。でも、作り話といえば専門家によれば毒液を吐くっていうのは寓話に過ぎなくておそらく実在のモンゴリアン・デス・ワームは毒液なんて吐かないんだとか。そうなると電撃が出せるって話も疑わしいし、こうなると本当に見つかったら私は喜んでいいのか、って思っちゃうわね」
「私はそのモンゴリアンなんとかさん――――」
「モンゴリアン・デス・ワーム」
「そうそのモンゴリアン・デス・ワームを知らないのでなんともコメントに困ってるんですが……」
「もう、そこは本質じゃないのに。じゃあ、身近な例としてツチノコにしましょう。あのお腹の膨らんだ蛇。流石にツチノコくらいはみやっちでも知ってるわよね?」
「もちろん知ってますけど」
「例えばツチノコが発見されて、研究者によって爬虫類トカゲ科ツチノコなんていう分類がなされたとして。それが本当に僕たち私たちが愛したツチノコなのかしら、ってそういう話」
「別に私は愛してませんけど……見つかっちゃ駄目なんですか?けっこうニュースになったりして日本中が喜ぶと思うんですけど」
「そりゃあ、未確認だった動物が見つかるっていうのはロマンある話だとは思うけどね。私たちが愛したツチノコは爬虫類トカゲ科のツチノコなんかじゃなくて、不気味で、いてもおかしくないけど多分いない、そういうツチノコなんじゃないかしら。見つかってしまったツチノコはシマヘビやアオダイショウなんと同じ、ただの爬虫類に過ぎない」
「まあ、そう言われるとツチノコなんてただの腹の膨らんだ蛇ですけど。でもいなかったらただの想像ですよね?」
「そう、仮にツチノコがいなかったら、"ここまで探して痕跡が見つからないならもういないと考えてもいいだろう"なんて思えるところまで探してツチノコが見つからなかったら。そしたらツチノコはただの想像になってしまって、それも僕たち私たちが愛したツチノコではない。あーあ、いなければ妄想、いればただの生物、どっちに転んでもロマンはなくなる。結局のところ最後までいけばロマンは必ず敗北する、ってことかしらね」
「でも、目撃情報が上がってから結論がでるまでの間は間違いなくロマンなんでしょう?だったらそれでいいのでは?」
「それ、よく考えないまま。なんとなく落ち込んでる私を見てそれっぽい前向きな結論に落ち着かせようとして言ってるでしょ」
「流石小川さん鋭い……ご指摘の通りですごめんなさい」
「ううん、ありがと、嬉しい。それに意地悪で言っただけでまったくもって貴方の言う通りだと思うわ」
「だったら最初から素直に頷きましょうよ。なにか怒らせたかと思ったじゃないですか」
「そもそもこの世には現実以外ないんだから"ロマンVS現実"なんて構図にして勝ち負けの話にした時点で負けるしかないのよ。どうなったって"私たちの愛したツチノコ"なんてどこにもいない。だからそれでも勝ちたいのなら"途中で勝負をおりる"しかない」
「それは負けとは違うんですか?」
「"勝ち逃げ"ね。最後の最後までは付き合わず、適当な勝ってるところでやめてしまうのよ。ツチノコが発見されるまで夢見て、ツチノコが発見されたら夢が現実になったと喜んでそこでおしまい。実在した生物として解析されて分類されてしまうツチノコのことなんて忘れてしまう。それで例えツチノコがなんのロマンもないただの生物になってしまったとしても"勝ち"だけ残るわ」
「はあ……でもそれってなんだか嘘くさいというか。違う気がします」
「あらそう?でもだとしたら嘘じゃない、本当の勝ちっていうのはどこにあるのかしら?」
「うーん、それはほら。ツチノコをちゃんと愛して、こう、例えばずっとツチノコを観察して学術好奇心を満たすとかですね……」
「でも、それってツチノコがいるかいないかっていうロマンの話とは別よね?」
「うーん、そうですけど……。でも、でも、なにかそんな“勝ち逃げ”とかじゃないもっと価値のあるなにかってあると思うんですよね、ツチノコがいたら」

 ……この会話はこのあとすぐ注文していた料理がきて中断されてしまい、もう二人とも続きを話すことも思い出すこともなかった。




 さて、この物語は最後までいかないで"途中で勝負をおりる"物語だ。
 この二人はお互いに誤解があり、悩みがある。しかし、それらの誤解は物語の中で一貫して解消されない。物語を通してそれらが少し解決したかのように見えたとしても、そのときは新しい誤解と新しい悩みがあるだけで、それは解消というより問題が形を変えたというだけだ。
 それは価値のない“逃げ”でしかなくもっと価値のあるものを手に入れることが二人はできたのかもしれないが二人は適当なところで勝負をおり続けるだけだ。
 しかし、もしお互いに考えていなかった部分を考え、触れてこなかった部分に触れて、誤解を完全になくしたとして、そのとき二人がまだ友達でいられるかどうかは誰にもわからない。
 もしこの物語に意味があるとすればそれは冒頭で示したような意味のない会話をこの物語のあとも二人はするということだけだろう。





メンタルオブジェクトの存在証明





 小川真理は大学の帰り道、ふと嘆息した。
(今、目の前にあるものを頑張ったとして――それがなにになるのかしら)
 そんなことを考えてしまう。
 真理は東京の大学に通う大学生四年生だ。その大学は誰もが知っているというような有名で権威のある大学ではないが、大学というものにそれなりに詳しい人間なら存在を知っていて、中堅大学と呼ぶ人も難関大学大学と呼ぶ人もいるようなそんな立ち位置の大学だった。
 今は就職活動を終えて来年の四月から勤める場所は決まっていて、卒業に向けて卒業研究を行っている。
 しかし、おそらく今の実験結果をまとめただけでも卒業はできてしまって、指導教官はもっと実験を行いデータを取って考察しろというがはたしてそれに意味があるのだろうかと考えてしまう。
 内定が出て勤める場所が決まってしまうまではもう少しやる気のようなようなものがあったような気がするし、楽して卒業なんてしないで力をつけて大学を出たいとすら考えていた。
 しかし、内定が出て自分の道が決まると、とたんいやる気をなくしてしまった。
(なんていうか、目の前のこれを頑張っても、多分私には何者にもなれない、そんな気がしちゃうのよね)
 今自分が頑張るべきはどう考えても目の前の研究なのだが、それを頑張ったところでなにかすごい人間になれるとは思えない。自分がなにかすごい人間になるためにはもっと昔から努力してはいけなくて、今からなにをやったところでもう平凡な人間にしかなれない、そんな感覚がつきまとっている。
 そんなものは甘えで、自分はまだ若いから色々とおそらくやれるし、おそらく十年後は十年後で“なんで十年前のあのときもっと努力をしなかったんだ”と悔やんでいるだろうとは思う。それに、研究をしても何者にもなれないと思うのなら研究を進めながらもっと別の自分の価値を高めるような努力をすればいい。
 しかしそれでも
(きっと私はもう何者にもなれないんだろうな)
 とそんな諦観の念が湧いてきてなにもやる気が起きない。
 おそらくは指導教官に怒られたくないしみんな頑張っているから、という消極的な理由でそれなりに頑張ってそれなりの評価は貰うだろうがそれはそれだけのことで――なにか意味のあることとは思えない。
(――――あっ)
 真理はふと人混みの中に知り合いの姿をお見つけた。御子神都だ。髪が縮れているのにショートに切り揃えているために酷く襟足が広がり頭が大きく見える。クセが強いから伸ばしたほうがいいと何度も言ったのだがそれでも短く切っているところをみるとなにかこだわりがあるのだろう。
 御子神都は中学生の頃からの友達だ。今でこそ髪を短く切ってはいるが当時はのばしていて、如何にも“かわいい女の子”という見た目と振る舞いだった。自分が頭悪いと認識していて、でもそれに対して過剰に自分を貶めることはなくむしろ頭がいいだけの人間よりも自分の方が素朴に物事を考えているから正しいはずだ、とでも思っていそうなどこにでもいるかわいい女の子だった。
 都の振る舞いは意図的かどうかはわからないが完璧で、完璧で同姓の目から見てもかわいくてだから自分は仲良くしようと思ったのだった。
 しかし付き合ってみてわかったのだが彼女は酷く怜悧な一面がある。自分を幸せにしない人間は容赦なく切り捨て、いつだって住みやすい“自分の王国”を周囲に築いている。そして間違っていることに自覚的に“自分に都合がいい考え”を採用することができる。
 それは不器用で人と仲良くやっていかないことばかりでいつも悩んだり苦しんだりしている真理にはない部分で、気付いたら都のことを尊敬して好意を寄せていた。
 あれから7年程度たち、もはや少しばかり頭が悪そうに見えるかわいい喋り方もしなくなって、“頭がいい人間”に対して尊敬の念を向けるようになったようではあるが未だに彼女は怜悧なままだ。
 さっきまで悩んでいたことなどすっかり忘れて自然に笑顔が浮かんでしまう。
 駆け寄って声をかけようとした――が、うつむいて重い足取りで歩くその様子は如何にも“とぼとぼ”といった様子で声をかけるのに躊躇う。
(向こうはこっちに気付いていないみたいだし――もしかしたら話しかけて欲しくないかもしれないし話しかけなくてもいいかな?)
 と、そう感じてしまう。
 真理にとって御子神都は一番の友達で、こうして偶然会えたことは嬉しくてしょうがないし、できればこの機会を逃さず話していきたい――だがおそらく向こうにとってはそうではない。真理にとっては一番好きで仲良くしたい相手でも、おそらく都にとっての真理は八番目か、十五番目か、おそらくはそれくらいの相手なんだろうとなんとなく感じている。
 そしておそらくは自分が都のことを一番の友達と思っているということも信じられてはいない。ことある毎に好きだと口にしてはいるがおそらくは冗談だと思われている。
 そのことに対して悲しさを覚えないといえば嘘になるが、逆にそのことに安堵もしている。もし仮に自分が都のことを一番の友達だと思っていることを悟られたら、都はそれに対してなにかリアクションを取らなくてはいけない。負担を感じたり面倒さを覚えられたりして今の上手くいっている友人関係がよくない方向に変化してしまうかもしれない。
 だから真理は自分の好意が冗談のように受け取られるのを否定しようとせず、むしろ積極的に冗談だと思われるように振る舞っていた。
(私も悲しいときは人を遠ざけたりすることあるし、煩わしく思われたくないし、出会ったからといって挨拶しなきゃいけないなんてこともないし、それにもう通り過ぎてしまいそうだし)
 と彼女が話しかけたい自分が納得する程度の“話しかけない理由”を探しているとふと都が顔を上げた――目が合う。
 目が合ってしまえば話しかけないわけにもいかない。
 嘆息して息を吸い込み、
「みやっちー!みやっちみやっちみやっちー!」
 と少々大げさすぎるくらいに手を振って声をかける。
 実際に凄く嬉しいのだがそれを悟られたくはないために、少々大げさに感情を表すことでそれを冗談っぽくする。
 これは彼女がよく使う手法で例えば彼女がゲームで負けがこんだりすると大げさに悔しがったあとに「悔しくてしょうがないから私が勝つまでやるわよ」などという。すると実際に彼女はすごく悔しくて勝つまでやりたくて、でもそれを表に出すと気まずくなるだろうしかといって無理に気にしてないように振る舞ったり黙ったりしてしまってはやっぱり気まずくなるんじゃないか、などと悩んでいるだなんて誰も気付かず冗談だと思って流すのだ。
「あ、小川さん。こんにちは、大学の帰りですか?」
 都の質問に
「あー、うん、まあね。みやっちはお仕事の帰り?」
 若干の気まずさを感じながら答える。気まずさを覚える必要は特にないのだが、あまり都に対して自分が大学に通っていることを意識させたくない。
「あ、いえ。今日はおやすみです。今日はお買い物の帰りですね」
 話ながら並んで歩く。
 都は中学を卒業してから高校にも大学にも通ってはいない。別に本人がそのことに何か思ってるというわけでもないだろうが親の金でのうのうと大学に通っている身としては同じ歳なのに働いている都に少しばかりの罪悪感がある。
(別にこんな罪悪感を抱く必要はないのだけれども)
 しかし、彼女にはどうしてもそのことを意識せずにはいられない理由がある。
「そ、ところでみやっちはご飯はもう食べた?」
 口にしたときにはその問いをしたことを真理は後悔していた。とりあえず「もう食べた」と答えられたら「実は私も食べたの」と答えて冗談だったと思わせようと心に決める。そうすれば気まずくなるようなことはないだろう。
 しかし、もし「まだ食べてない」と言われてしまったらどうしようというのだろうか。そのときは「一緒に食べに行こう」とそう答えなければいけない。自分にそんなことができるのだろうか。
「まだ食べてませんけど」
 と答えられてしまったのだった。
(うう、うううう)
 会話の流れを考えれば誘わなくてもいけない。いけないのだが――――
(もし断わられてしまったら――いや、むしろ本当は嫌なのに食べていないと言った手前断わりづらいという理由で了承されてしまったほうが怖い)
 などと考えてしまってどうしても次の台詞が出ないのだった。
 急な沈黙のまましばらく並んで歩く。
「えー、小川さんえー。ここで会話終了ですか?」
「ん?私は聞いた。貴方は答えた。ここで終わることにいったいなんの不思議が?」
 冗談のような言葉はスラスラと出てくる。
「えええ……どう考えても一緒にご飯食べに行こうって流れだったじゃないですかー」
「そんな伏線は張ったつもりは欠片にもないのだけれども……貴方がそんなに一緒に食べたいのなら食べにいく?」
「そうですね!私がどうしても一緒にご飯を食べにいきたいのでご一緒してください!お願いします!」
 自棄になったように都はいう。小川の葛藤はあっさりと解決してしまった。その上、
「うう、今の会話完全に小川さんの掌の上って感じだった気がします。こういう流れになることが完全にわかった上でやってそう」
 などと完全に的外れなことをいうのだ。
「流石にそんなエスパーみたいな真似できないわよ」
「どうですかねー。小川さん頭いいからそれくらい簡単にやっちゃいそうですからねー」
「毎回思うのだけれども貴方の中の“小川さん”って本当優秀でお前誰だよって感じよね」
 気付かれないようにこっそりと溜息をつく。
 頭がいい人間に思われるのは気分がいいし――そう思われるように振る舞ってきた。しかし、都がこうして自分のことを賢い人間だと思っていることが最近どうにも苦痛だ。
 きっと友情は対等な人間同士にしか成り立たなくて、こうして尊敬されている間は自分と都が友達になることはない、そういう風に考えてしまう。
 自分のことを頭がいいと思っている人間が多いことはなんとなく感じているし、通っている大学もそこそこに名前が知れている、そういう意味では自分は客観的にみて頭がいいのかもしれないとは思うが、
(それってそんな尊敬するようなすごいことなのかしら)
 というような気がしてしまう。
 この世には尊敬すべき頭のよさというものがあると真理は考えている。例えばどんな分野でもすぐに物事の本質を見抜いて上達する人間だとか、生きる意味などの問題で苦しんでいる人たちに道を示せるだとか、あるいは軽く卵の先を割ってから机にたてるような、そういう頭のよさだ。それらは確かに素晴らしく、確かに“人間として向こうの方が上”という気分にさせられる。
(でも私の“頭の良さ”はそれとは別。専門的な知識を披露したり、すぐ先人達の見解を調べることに気が回ったり、前提と理論を分けて考えたり、そんなものはただの“技術”に過ぎない。そして私はそれを大学で獲得した)
 役に立たないとは思わない。役に立つ状況もあるだろう。高いお金を親に出して貰って大学に通っているわけなのだから役に立つ技能を習得してなければ困る。
 しかし例えばそれはサッカーが上手いだとか、美味しいピザが焼けるだとか、ヒヨコの雄雌を判定できるだとか、そういう技能と一緒で別に持っていたからといって“人として優れている”というような能力ではない。おそらくそれは天才でなくても誰かに教えられれば身につけられるただの技術だが、その“技術”に名前がないために漠然と“頭がいい”と呼ばれてるだけなのだ。そしてそれは価値のある“頭がいい”と混同されてしまってまるで自分が素晴らしい人間かのように言われてしまっている。
 そしてその技能を大学で身につけたからこそ、大学に通っておらず自分のことを素晴らしい人間であるかのように思っている都にはそれを明かせない。
(考えすぎだとは思うのだけれども……変なコンプレックスになってしまいかねないし)
 真理としてはそんな技能なんかよりも都のようにきちんと働いて、そして器用に人間関係を構築して生きられるほうがよっぽど素晴らしいことのように思える。自分のような不器用な人間には決してできない生き方だと。
「それで、なにを食べる?」
「えっと、お寿司を食べるつもりでしたけど」
「寿司って……豪勢ねえ」
「あ、いえ、もちろん別にもっと安い物でもいいんですけど」
「別に寿司でかまわないわよ。みやっち、寿司好きだもんね。ところでってことは“あたごやま鮨”に向かってたの?」
「ですです」
 “あたごやま鮨”は駅前の回転寿司店だ。チェーン店ではなく元々立ち食い寿司屋だったところを30年以上前に回転寿司に変えたのだと聞いている。真理が生まれたときから回転寿司の店だったのでその時代のことは知らないが。回転寿司としては割高だが、それでも老舗独特の趣と個人営業ならではアットホームな店内を都は気に入っているらしい。
「あそこって第三火曜日は定休じゃなかったかしら。確か」
「あー、あー、言われてみるとそうだった気がします」
「そして今日は第三火曜日じゃなかったかしら?確か」
「そうですねえ。じゃあ開いてませんよね……。どうします?なに食べましょうか」
「確かこのあたりに別の回転寿司屋があったはずよ。そこ行きましょう」
「別に寿司にこだわらなくてもい――――」
 都の言葉に被せるように自分の意見をいう。
「ダメよ。私の口はすでに寿司受け入れ体制に入ってるの。今なにを食べても私の口は“おかしいな、寿司以外のものが入ってきたぞ”としか思えないわ。私に“美味しい”と思わせられるのはもう寿司だけなのよ」
「はあ……わがまま……じゃあまあ連れて行ってくださいよ」
「はて……どこだったかしら。確かけっこう近かった覚えはあるのだけれども。まあいいわ、調べる」
 鞄から携帯電話を取り出し、地図を呼び出して検索をかける。
「ほら、やっぱり近かった。こんなに近くてお客を奪い合ったりしないのかしらね?それともこのあたりは特別寿司の需要が高い地域だったりするのかしら」
「どうなんでしょうね」
 聞かれたから答えないわけにはいかないが特に思うこともない、といった無難な相槌をうつ都に真理は携帯電話を差し出す。
「ほら、地図が写ってるでしょ?連れて行って?」
「はい?」
「私、地図を読むのって苦手なの。地図があるのに何故か道に迷うのよね」
「えー、嘘だー」
「本当よ。ほら、お願い」
 まだ半信半疑だがそこまでいうのなら仕方がない、といった態度で携帯を都は受け取る。
(ほら、頭がいいっていったってこんなもの。地図すらまともに使えない)
 真理が地図を持っていても迷うというのは事実だ。携帯電話にはGPSという三角測量を利用して自分の現在地を表示するシステムまでついているのだがそれでも何故か真っ直ぐに目的地につけないことが多い。だからいつも始めていく場所には充分な時間的余裕をもって行くようにしている。
(きっと私なんかよりもみやっちのほうが本当はずっと頭がいいはずだ。私はみやっちみたく器用に生きられないもの)




 あの後。都は真理の携帯電話を見ながら移動して、今は寿司屋で四人がけの席に向かい合うように二人で座っている。
「連れてきてくれてありがとう、みやっち」
 席に着くなり真理はいった。
(本当は地図くらい使えるくせにこの人は……)
 御子神都の心に呆れるような気持ちがわく。しかし、それは怒りなどになならずむしろ微笑ましい気持ちで許してしまう。
 地図なんて地図に記載されている建物のうち見えるものを二つ探せば方角と自分の位置がわかるのだから小学生とかならまだしもあの小川真理が使えないなんてことはまずあり得ない。ましてやそれなりに知っている近所なのだ、使えないはずがない。
 ただその作業が面倒くさくて都に押しつけただけだろう。
(あー、でも正直救われてるなぁ……やっぱり)
 御子神都はそう独りごちる。
 彼女は今日、昔から仲のよかった相手と喧嘩してしまって“人間関係面倒くさい!人間関係にもう頭使いたくない!しばらく仕事で最低限のやりとりだけして本を読んで過ごそう!”と考えていて、ところだったのだがこうして友達と会って話しているとすごく楽しくて癒されてしまう。
 その喧嘩した相手の悪口を人に言ったり、あるいはつらいから慰めて欲しいといったような態度をとれば癒されるだろうとは思う。
 しかし、自分はそういうときどうしても人と距離をとることを選んでしまう。今、人と接したらどうしても悪口を言ったりつらいことがあったと言ったりしてしまうだろうから。
 別に相手の迷惑になるからという理由ではない、単に嫌われたくないというのと、それになにより格好悪いからだ。格好悪いところは人に見られたくない――――特に小川真理のような格好いい人間には。
 そういう複雑な感情が籠もった視線を真理に向けて目が合うと
「本当、貴方がいなかったら私はここにこれなかったわ。貴方は私の恩人ね」
 などと微笑んでいうのだ。どう考えても嘘で大げさに言っているだけなのだが、彼女にそうして誉められると酷く嬉しくなってしまう。
「はあ、恩人ですか。それはどうもです」
 言って思う。
(本当にもう、ずるいよなぁ……)
 小川真理はこういうわがままなところがあるが周囲にいる誰もがそれを“まあ、小川さんならしかたないね”と快く許してしまう。なんというか、一つ一つの態度に自信が溢れていて、しかもその自信に見合うだけの頭のよさと美しさがあって、だからどんなわがままも通してしまう。むしろ、わがままを言われることがまるで親しさの証みたいに感じてしまい嬉しさすら覚える。
「本当、みやっちには感謝してもしきれないわ。貴方がいるから私の人生はこうも楽しいのよ」
「はいはい、本当光栄ですね」
 真理はたびたびこのようなことをいうがどうにも芝居がかっているというか、嘘くさい。
 それが“本当は好きじゃないんだけど周囲と上手くやっていくために嘘をつく”といったようなわかりやすい嘘ならいいのだが、彼女の場合は気まぐれというかまるで“どうでもいいことだからサイコロを振って決めてみたら好きの目が出たから好きという風に振る舞おう”とでもいうような嘘くささなのだ。
 理由がある嘘なら理由がある限りは嘘を付き続けるだろうという信頼も可能だが、彼女の場合はほんの数秒後にでも“飽きた”と一言いって態度を豹変させそうな怖さがある。
(まあ、好かれてるっていうのは事実なんでしょうけど……)
 そうでなければ定期的にメールをしてきたり、こうして一緒に食事をしたりはしないだろう。そもそも中学生を出てから7年近くたっているのに関係が続いているというのは間違いなく好かれているからのはずだ。
(でも、小川さんのような頭のいい人が本当に私を好いたりするものでしょうか……?)
 客観的に見れば好かれているということにしかならないと思うのだがどうにも心から真理に好かれているということを信じることができない。そして、好かれている自信が持てないためにどうにも真理のことを好きになることに躊躇いがある。
 都にはそういう“自分の好きな相手が自分に対して無関心”という状況を酷く恐れるところがあった。
 もし好きな相手が自分に無関心だったらという恐怖をいつも彼女は抱えていて、人を好きになりそうになると“この人は私のことが好きなのだろうか?”と考えて彼女は二の足を踏んでしまう。
 だから、好意を信じられない小川真理とはずっと仲良くしたいと考えていながらもどこか壁をつくって接してしまう。そして、真理の方も無理に仲良くなろうとせず一定の距離を保つため7年の間ほとんど距離感は変わっていない。都の主観でいえば仲良くしたいまま7年間片思いをし続けているように感じているということになる。
 自分以外にもっと仲のいい友達がいることを想像してはなんとなく悲しくなって、もっと仲良くしたいと思うのだが彼女はそれを実行に移さない。
(どうなったらその人と親しいとか深い繋がりとか言えるんだろう。思いあってたらなんて誰にもわからない。目に見える何かが欲しい)
 もし、自分が近づいてしまえば小川真理がいつもいう好きという言葉の真偽がわかって――なにかしらの“答え”が出てしまう。それを彼女は恐れているのだ。
「お寿司なんて久しぶりだから楽しみだわ」
 如何にも楽しそうな態度で手を拭いてパックの緑茶を淹れているがその態度もどうにも嘘くさい。そもそも寿司が食べられるという程度のことを真理がそんな楽しみにするとは思えない。
「小川さんお寿司好きなんですか?」
「そうね、世界で4番目くらい」
「トップ3はなんなんですか?」
「そうね、生クリーム、ナタデココ、軟骨の唐揚げ、そして次点がお寿司って感じかしら」
 これは明らかに嘘だ。明日聞けば全然別の答えが返ってくるに決まってる。少なくても4位は変わってるはずだ。
「あら?信じてない」
「そりゃあ、たまたま私が食べようと思ったものが、都合よく世界4位なんて偶然、信じられるわけないでしょうよ……」
「実は貴方がお寿司を食べるつもりだったといってからここに来るまでに間に世界4位まで上り詰めたのよ。私は実は歩きながら“お寿司が大好きな自分”を構築してたの。美味しく食べるためにね」
「どこか無理がありませんか、それ……?」
「貴方だって疲れてるときは甘い物が食べたくなるでしょ?それにあるとき急に何かが食べたくなることとかない?それは別に変わったことじゃないでしょう?今はだから今はお寿司が食べたくて食べたくてしかたないし、楽しみでしょうがないの。さ、早く食べましょ」
「うーん……そういわれるとギリギリ納得してしまいそうな自分がいますけど……」
 なにか反論がないかと考えているうちに真理がひょい、と回っている寿司を取ってしまったためにこの話題はここで終了、という空気になってしまった。
(まあ、元々小川さんと議論してもなんとなく反論できなくなって終わるからいいんですけどね……)
 口の上手さや頭のよさで小川真理に勝てたことは一度もない。
 自分も回っている寿司をとる。目の前で真理が両掌をあわせていただきます、と言ったので自分もつられていただきますとつぶやく。
 寿司を食べるのが楽しみでしかたがないといったのが嘘でないことの証明のように真理は次から次へととって食べている。
「ところで、キノコやウニ、それにナマコなんかを最初に食べた人は凄いって話があるじゃない?」
「はい?」
「んー、つまり、キノコやウニやナマコなんてとうてい食べられる見た目をしてないのによく食べたな、って話」
「あー、はいはいそれはそうですね。ウニなんてイガイガですし、ナマコはなんていうかアレですし、考えてみるとキノコもどこかのっぺりしてて気持ち悪いですものね」
 真理はウニの軍艦巻きを口に運んで咀嚼して飲み込んでから続きを話す。
「でも冷静に考えて、これまでの食に関する知識を全て失って無人島にいるとするじゃない。何が食べられるもので何が食べられないものなのか、何が美味しくて何が不味いものなのか、そういう知識を全部失ってる状況ね?」
「はいはい、ウニやキノコが食べられるかわからないって状況ですね」
「だったら牛や魚よりも、キノコやウニの方を食べると思わない?まあ、キノコはちょっと怖いから食べないとしても……ウニなんてとりあえず割ってみて食べようとすると思うのよね。ナマコだって拾って食べるんじゃない?」
「え、いや、そうですか?」
「だって牛よ?牛?目の前を牛が歩いてて“よっしゃ、あの牛を殺して食べるぞ!”って気分になる?美味しそうだと思う?怖いから近寄りたくないって考えるのが普通でしょ?」
「そう言われてみるとそうですけど……」
「魚だってなんか泳いでるし、捕まえづらそうだし、あんなの冷静に考えて食べないでしょ」
「まあそうですかね……」
「そのへん、魚を最初に食べた人?獣?まあ、そういう存在も偉いわよね。尊敬しちゃうわ。原始人なんかもそういえばチーム組んでマンモスとか倒してたらしいし、みんな偉いわね」
「はあ、そういうものですか」
「ところで――」
 最初から別の話題に続けるつもりだったのだろう、あっさりと話題を終了させた。
「なにか嫌なことでもあったの?」
「え――」
 声と言うよりも呼吸が詰まって喉が震えてしまっただけというような音が喉から漏れる。
「なにか落ち込んでたように見えたから。ごめんなさいね、もっと器用な人なら気を使って触れなかったり上手いこと誘導したりできたのかもしれないけど、私はこういう聞き方しかできないの。別に話したくないのなら話さなくていいのよ。あ、これってなんか刑事さんみたいじゃない?」
「ええっと、“君には黙秘権があるって奴”ですか?」
「そうそれ。君には黙秘権がある、供述は法廷で不利な証拠として使われることがある、あとは弁護人の立ち会いを求める権利があるだっけ?まあ、そんなやつ」
 すぐに別の話題を始めてしまうのは、話したくなければなにも言わずにこの話題に乗ればいい、という気づかいだろう。きっとこの話題を続ければ嫌なことがあったのかどうかという質問なんてなかったかのように振る舞ってくれる。
 だからだろう、人間関係に頭を使いたくないというような状態でも真理といると救われるのは。いつだって彼女はこちらが不快になりそうなところには踏み込まない。
 そしておそらく話したとしても面倒な反論をするようなことはないだろう。
「うーん、あんまり詳しい話はしたくないし、抽象的な話でいいですか?」
 それに詳しい話をしてしまえば小川真理に嫌われてしまうかもしれない、あるいは彼女が一言“それは間違っている”と言えばどんなに反論しても最終的に自分が間違っていることを認めることになるだろう、それが怖い。
 でも、この話に彼女はどう答えるのか、それに興味があった。
「あのですね、ちょっと人と喧嘩しちゃったんですよ」
「あら、あらあらまあまあ、もしかして恋人かしら?」
「そういう色っぽい話じゃないんですけどね……。それでまあ、私としては自分に非がないって自信があってお互い譲らず徹底的に話して結果としてこじれちゃったわけですよ」
「あー」
「なんですか、その“あー”って……」
「いや、ありそうな話だな、って。だって、みやっち自分が悪いと思ったら平謝りするけど、そうでなかったら絶対に論破してやろうって態度で接するじゃない?こじれると泥沼化させるタイプよね」
「うっ……言われてみるとまったくその通りですけど……。まあ、小川さんを論破できたことはありませんが」
 もしかしたら酷いことを言われたようにも思うのだが、酷いと思うより先に“ああ、確かにそうだ”と感じてしまうため真理に対する怒りはわかない。
 それどころか“ああ、この人は私のことをよくわかっていてくれてるんだなぁ”と嬉しくなってしまう。
「奇遇ね、私も貴方に論破された記憶が不思議とないわ」
 にっこりと笑う。
(本当この人はずるい……)
 口が上手いだけでなく“この人になら自分の間違いを素直に認めて謝ってもいい”と思わせてしまう。
「それでちょっと沈んでたのね」
「うーん、まあ正直縁が切れたこと自体よりも、縁が切れた結果として周囲とのあれこれが色々と面倒で憂鬱でしかたないっていうのと、あとまあ何年も上手くやってきたのにこんな簡単に切れてしまうんだな、って思うと――なんだか虚しいなぁ、って」
「とはいえ、仲良くなった何年間と同じだけの時間をかけて少しずつ仲悪くなっていくよりかは、一気に喧嘩して仲違いしたほうが楽そうじゃない?比較の問題ではあるけど」
「まあ確かにそれは息が詰まりそうですけど……あーあ」
 大きく溜息をつく。
「なんていうか、やっぱり人と喧嘩するのは堪えるなあ……。人を嫌いになるのもしんどいし……子供といわれようとなんといわれようと自分のこと好きな人しか好きでいたくない。私のことが好きじゃない人はもう視界に入れたくない」




「なんていうか、やっぱり人と喧嘩するのは堪えるなあ……。人を嫌いになるのもしんどいし……子供といわれようとなんといわれようと自分のこと好きな人しか好きでいたくない」
 その言葉を聞いて真理は表情こそ平然としていたが内心は震えだそうなほど混乱しているのだった。
(ううう、うううううう……)
 自分が都のことを好きなことを信じられないことはなんとなく感じている。だからこそ都は自分を切り捨てるだろう。少なくても真理の中の都はそういう存在だった。
 都はたびたび“自分が傷つかないように人間関係を構築する”と語り、そのたびに真理は自分とは違い都は器用に強く人間関係を築ける人間だと考えていた。現実としては現実的にそう上手く人間関係をつくれる人間でないからこそたびたび問題を起こしてこのままじゃそのたびに自分に言い聞かせるように口にしているだけなのだが。
 何故たびたび口に出しているのか、そう考えればそのことに真理は気付くかも知れないが、都のことを尊敬している真理は決してそのように考えない。都の口にする理想の自分像をそのまま受け入れるだけである。
(どうしよう、いずれこのままじゃみやっちに捨てられる――)
 そのとき真理の胸の中に渦巻いていた感情は怒りであり、焦りであり、そして諦観だった。
 その感情は真理にとって慣れ親しんだものだった。いつだって上手くいかないことに苛ついているが、自分に原因があることが分かってしまっているのでその怒りをどうすればいいのかわからない。
 もし上手く行かない現実に怒りを覚えたとしても手を抜いた記憶があると“あの時手を抜いたのがいけないのかもしれない”と自分の怒りがとたんに正しくないもののように感じてしまう。
 もし都とちゃんと友達をやっているという認識さえあれば捨てられないと信じられるし、捨てられてたとしてもちゃんと怒って文句をいうことができただろう。しかし、自分は都が自分の好意を信じていないということを感じながらも、信じられていない間は重いと思われることもなくなんの“答え”もでないと放置してきた負い目がある。
 真理はとにかく自信がない。手を抜いた記憶が彼女の仲にある限り、自分は“頑張るべきときに頑張らなかった自分”であり“最善の自分”ではないからだ。だからどんな結果を出しても自分が優秀だと彼女が思うことはないし、誰と付き合っても自分に好かれるだけの価値があるということを信じられないからその好意も信じられない。ただ、彼女は好きな相手を尊敬していつ嫌われるのかびくびくするだけである。
(どうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃ)
 自分が都のことが好きなことを証明しなければ捨てられてしまう。
 しかし、愛の存在を証明することはできるのか。それは証明不可能な命題ではないだろうか。
(あ――そうだ)
 ふと頭の中に証明の手順が浮かぶ。考える――果たしてそれで愛を証明することは可能なのか。
(いや、やらなきゃ捨てられるんだ。やるしかない)
 息を大きく吸って、そしてはきだす。
 これから自分がやることの恐怖に肩が震えそうになるが、それ以上に都に捨てられることは怖い。
 小指をピンと立ててその小指を机に対して下向きに垂直にあてる。
 呼吸が荒くなりそうなのを意識的に整える。なにをやっているのだろうかという目をしている都に“何も心配することはないわ”というメッセージをこめて微笑む。
 そして、そのまま腕に下向きの力を入れる。
 ――――ぴきり。
 指の折れる嫌な音がした気がした。




「何やってるんですか!」
 都は自分の喉から悲鳴のような声がでたことを他人事のように認識した。真理の手を掴んで強引に机から離す。
 真理は痛くて喋れないのかうつむいたまま、落ち着けとでもいうように掌を都に向ける。
 都はそれで自分が店中から注目を浴びていることに気付く。曖昧に頭を下げて、注目の必要がないことを示す。
「何やってるんですか、小川さん」
 少し声を落として小川真理に声をかけると、真理も痛みの波がさったのか引きつったのか笑っているのかわからない表情で答えた。
「そうね――愛の証明ってところかしら」
「はい?」
「貴方は自分のことが好きな相手とだけ、付き合いたいのよね?でもじゃあ相手が自分の事が好きってどうやったらわかるの?」
「えっと、それはほら、なんとなく」
 都の頭はまだ急な事態にについてこれていなかったが、それでも質問されたことはわかったので混乱したままの頭で考えて答える。
「そうよね。そもそも愛の存在を証明することはできない。と、いうよりむしろ厳密な話をしてしまうのなら自分以外の人間に心が存在していることすら証明することはできないんだから、その中の一部分である愛なんて証明することができるわけがない」
「は、はあ」
「まあそこまで厳密な話をしないとしても私たちに見えるのは常に行動であって、心なんかではないんだから、感情の存在は行動によってなんとなく“こういう感情を抱いているとしたら納得できるかな”と思わせることでしか表すことはできない」
「えっと、なんの話ですか?」
「私が指を折った理由の話よ。まあ聞きなさい」
 納得なんてするもんか、という目で真理をにらむ。
 真理が笑顔で話すときはだいたいそのまま納得させられてしまうが、今回だけは納得なんかしないはずだ。絶対に真理が間違っている。
「ならば愛は“愛がなければこの行動はしない”という行動によって証明するしかない、心なんて見えないんだからまあそうよね?例を上げるとすれば例えばプレゼントをあげるとか。あれは愛がなければ自分のお金がなくなるだけよ、だからプレゼントは愛の証明に有効なの。アレは“貴方を喜ばせるために私はこれだけの損害を負うことができます”っていうことだから。愛がなければ身銭を切ってプレゼントをあげるという行動を説明することはできない」
 まるで原稿でもあるかのようにスラスラと楽しそうに喋る。
「あとはまあデートだってそれをしている時間に他のことができないわけだから“貴方とあっている時間はなにより楽しいです”ってことよね。他のことが楽しければデートの約束なんてせずに、他のことをするわけだから。つまり、愛の証明というのは損害を負えば負うほど説得力が増すということ。愛が存在しなければ他に説明がつかない行動が求められているわけだから理由がなければ絶対にやらない行動ほど説得力があることになる。そして理由がなければしない行動とはつまり“損する”ことよ」
 真理の言葉にどこか間違っているものを感じる。それだけでなく、もっと相手の立場になって考えられるとか、なにが本当に相手のためか考えて行動できるとか、もっと他にあるはずだと思う。
 しかし、その感情が言葉になる前に真理は結論を述べる。
「私は貴方に好意を信じて欲しくて指を折った。もし、愛がなければ私には指を折る必要がない、よって私は貴方のことが好きなのよ。納得いった?」
「え、いや、ちょっと待ってください。全然納得いきませんけど」
「あら、なるべく分かりやすく説明したつもりだったのに。いいでしょう、聞きましょう」
「えっと……上手く言えないんだけど。まずなんでそんなことをやろうと思ったんですか?」
「あら、好きな人に好きって伝えることになんの不思議があるのかしら。人に恋したら告白するものでしょう?」
 まるで子供に“なんで人を殺すのはいけないことなの?”と自分が当たり前だと考えていることを聞かれてしまった教師のように微笑んだ。
「むー、それを言われるとそうかもしれませんけど。えっと、じゃあじゃあなんとなく話の流れはわかったんですけど、損すれば損するほど愛の証明になるから、愛を証明するために損をする、ってなにか一周してるというか、なんだかすごく詭弁っぽくないでしょうか?」
「すごく詭弁っぽい――ね」
 クスリと笑う。
「“それは詭弁だ”なんて言葉はそれこそ詭弁なのよ、みやっち。詭弁というのは意図的に間違った方向に議論を進めようとする意見のことでしょ?つまり必ず詭弁には間違ったところがあるの。だからこそ“それは詭弁だ”なんて言葉にはなんの意味もない。間違っているところがあるのだから間違っているところを示さなければいけない。間違っているところを見つけられない意見に詭弁というレッテルを貼って間違っているということにする行為はそれこそ議論を間違った方向に進めようというという詭弁だわ」
「う、うう、そうかもしれませんけど」
「それにしてもこの議論はどこに向かっているのかしら。貴方は私を言い負かして“自分は好かれてない”ってことにしたい理由があるのかしら?」
「それは……」
 どう考えても真理が指が折るなんてことは間違っているし、ここで言い負かさないとまたいつか指を折るかもしれない。それは絶対に嫌なのだが、それを上手く言葉にできない。
「わかりました、負けでいいです。小川さんは私のことが好きってことでいいです」
「そう。愛が伝わってなによりだわ」
 にっこりと微笑んだ。
 その後、二人は都が叫んだとき注目を浴びてしまったこともあって、店を出ることにした。
「さって、それじゃあね、みやっち。今日は楽しかったわ。また今度メールするから一緒にごはん食べに行きましょう」
「ええ、是非そうしましょう」
 話ながら都はふと、
(もしかして、指を折ったというのは演技なのかな)
 と考えた。
 そもそも指を折る理由なんてない。あの小川真理が愛を証明するためだなんていう理由で指を折るだなんてあるはずがない。
(うーん、つまり小川さんは私に自分のことが好きな相手とだけ付き合うのは間違っているって言いたかったのかな?それがよくわからないのはきっと私の頭が悪いからなんだろうな)
「さって、また明日から頑張らなきゃな-」
 真理がおそらく伸びをしながらつぶやくが背中越しに聞こえた。
 頑張れ、と心の中で声援を送った。