探偵と魔法使いの話

登場人物

 
 
 

・僕

探偵
 
 

・ポム子ちゃん

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助手兼魔法使い
 
 

・《物語》

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依頼者
 
 
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物語には力がある――――探偵から居村美沙季へ
 
 
 
 あるとき《物語》が探偵事務所にやってきて、私の物語の最初の嘘を暴いて欲しいの、と言った。
 我らが私立探偵事務所は、探偵である僕と、助手であり魔法使いのポム子ちゃんの二人によって運営されている。密室殺人事件の解決、迷い猫の捜索から赤毛組合なる謎の団体の調査まで探偵的な悩み事なら何でも請け負う探偵事務所だ。
 さて依頼もなく二人でしりとりをして時間を潰していた昼下がり、ドアがコツンコツンとノックのような音を立て何か公共料金の取り立てか幻聴かと訝しがりながらドアを開けるとそこには、中学生くらいの《物語》が立っていた。そして冒頭の台詞を言ったのだ。
「私の物語の最初の嘘を暴いて欲しいの」
 
 
「さて、」
 《物語》を丁重に事務所のソファにご案内しその対面に座り、ポム子ちゃんにコーヒーを淹れるようお願いして、僕は切り出した。
「改めて正式にご依頼を伺う前に改めて探偵に依頼するということがどういうことかご説明します。触らぬ神に祟り無しとは言いますが、この探偵という奴も関係者にさえしなければ無害な奴です。ですが、ひとたび関係者にしてしまったらもう事件が終わるまで探偵は探偵としての活動をまっとうします。探偵を事件に関わらせるということはいずれかのタイミングで必ず真実が明らかになるという欠点があります。それが依頼者様にとって仮に不都合な内容であっても必ず最終的に探偵というものは真実を明らかにしてしまいますし、真実を明らかにするのに十分な材料が揃うまで事件は終わりません。もしも、孤島で連続殺人事件に巻き込まれていて身を守りたいのであればボディガードを、公開されたら不都合な事情のある事件の調査であるならスパイや秘密工作員をオススメします。その上で探偵に依頼されますか?」
「物語の最初の嘘を暴いてください」
 《物語》はまったく同じトーンで同じ台詞を繰り返す。
「物語を特定して分解して、偽りを白日の下に晒してもう誰一人として騙されないようにしてください。不実の内臓を引きずり出して糞尿まみれのそれを解体して、虚妄は虚妄に、空言は空言と、欺きを欺きとはっきりさせてください」
「オーケー、引き受けました。でしたら詳しくお話を聞かせていただきます。ご安心ください、こちらで聞いた内容を他者に明かすことは一切ありません」
 ポム子ちゃんが《物語》と僕の前にコーヒーを置く。《物語》はそれを息で少し冷まして一口、口に含んだ。
「美味しくない」
 ぼつり、と呟く。僕も確認のためにコーヒーカップを口に運ぶ。確かに、まったくコーヒーの味がしない。どちらかというと泥水の方が近い味わいだ。僕は《物語》の視線がコーヒーカップに向いているのを確認してから不機嫌な顔をつくりポム子ちゃんに向ける。ポム子ちゃんは「やっちゃった」とでも言いたげに舌をぺろりと出した。
「詳しい話を聞くまでは確定できませんが、最初にざっと依頼料の話をしましょう。料金は着手金、成功報酬、必要経費の三種類のお金がかかります。着手金は成功してもしなくてもいただくお金で、こちらを頂いた段階で正式に依頼を受けたことになります。続いて必要経費、こちらは調査に関わる経費ですね、例えば電車代、バス代、駐車場代やガソリン代などの移動費。あるいは尾行する際に飲食店などの利用すればその料金や、宿泊した場合は宿泊費なども入ります。続いて、成功報酬は成功した場合のみいただくお金で、着手金と同額ですね。詳しい話を聞くまではちょっと確定できませんが10万円から20万円程度頂きます。さて、ここまでよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
 
 
 
 灰色戦士の革命キャンプで、リンチを受け死亡した居村美沙季について書いてみたい。
 そう思ったのは彼女の自宅から彼女の描いた絵本が見つかったというニュースを読んだからだ。それらは水性絵の具でスケッチブックに描かれたもので、いかにも児童向けといった絵柄のものだ。内容も魔法使いの女の子が太陽を隠してしまった魔女のもとへ旅立つという他愛ない内容であったと報道されていた。最初、これらのものと彼女の革命の戦士の顔の印象の差異に困惑した。しかし、彼女が死ななければいけなかった理由は実はこの差異にこそあったのではないか、と思い至った。
 さて、おさらいではあるが居村美沙季の事件について触れておきたい。六月十二日、訓練が終わり雑談の中、灰色戦士により厳しく居村美沙季が批判されるという出来事が起こり(いわゆる居村批判)、その翌日彼女は「反省」を求める思想上の同志によってリンチを受け死亡した。
 このことに関して「文藝曖昧」の記事の中で灰色戦士と居村の対立を「劇団と守護者の対立であり、忘却ゲリラ路線と活版印刷革命主義路線の対立である」と書いている。こうした政治路線の対立であるという見方がおそらく多く、僕自身つい最近までそう思っていた。しかしながら、今はこうした対立とは別の次元で居村美沙季は灰色戦士を脅かす存在であり、そのため灰色戦士は自らを守るために彼女をリンチしなければならなかったのではないか、そう考えている。

 
 
 
 
「コーヒ-は探偵的な飲み物なんだからそれくらいちゃんと淹れてくれないと困るよ、ポム子ちゃん」
「ごめんなさい」
 ポム子ちゃんはしゅんと小さくなる。あの後、《物語》から詳しい話を聞いて、依頼は受けることになった。結局話を聞いている間、一口しか飲まなかったコーヒーを飲む。本当に、不味い。
「私はもちろん頑張る、努力する。でも、開き直るわけじゃないけじゃないけど、認識しておいて欲しい。魔法使いに魔法以外のことを頼むっていうのはそういうことだって。魔法は何もできない人のための力だから、魔法使いは魔法以外何もできない」
「そうだったな……」
 そう、ポム子ちゃんは凄腕の魔法使いで、だからこそ魔法以外のことはほとんどできない。朝は目覚まし時計を止めて二度寝しちゃうし、そのくせ目覚まし時計が鳴らなかったと主張するし、目玉焼きを作ろうとしたらフライパンに卵を落とすときに黄身を割っちゃうし、歯磨きをすればパジャマの襟を歯磨き粉でべたべたにするし、そのパジャマはボタンを一つ掛け違えてたりする。これが全部今日の朝の出来事だ。
 彼女のいっていることは正論だ。僕は彼女を事務や"ただの助手"や"魔法使いの助手"ではなく、"凄腕の魔法使いの助手"として雇っている以上はある程度、彼女が魔法以外何もできないということを受け入れなくてはいけない。そろそろ冷めてきたのでコーヒーを一気に飲み干す。泥水の味がするけど、これだって凄腕の魔法使いを雇うというのはそういうことだ。
「そうだね、うん。怒ってないよ。これから僕がコーヒーを淹れるからよく見てて。少しずつ覚えていこう」
「うん!」
 ポム子ちゃんに手順が分かりやすいようにゆっくりとコーヒーを淹れながら、この依頼をどうしようかと考える。まずは《物語》を特定しなければいけない。
「2週間後の中間報告までに、なんとかそれっぽい報告を上げられるようにしなきゃね」
「しなきゃねー」
 ポム子ちゃんが僕の台詞の後ろを真似る。
「2週間で暴けるとは思わないけど、"こいつ大丈夫か?"なんて思われたら打ち切られちゃうし、成功報酬だって手に入らない」
「入らないもんねー」
「最終的にある程度あたりをつけたら国会図書館にでも籠もって総当たりを覚悟しなきゃなんだろうけど、そのある程度あたりをつける、って手段をどうしたものか……」
「どうしたものかねー」
「ふーむ……」
「ふーむ」
 僕の真似をしてしかめっ面を作って悩む素振りをしているポム子ちゃんを横目で見る。うん、多分何とかなる。
「まあ、王道なのを片っ端からやっていこうか。コーヒーを淹れたらさっそく作戦会議だ!」
「作戦会議だ!」
「やるぞ、おー!」
「おー!」
 
 
「えー、じゃあまずは張り紙で懸賞金つけて情報提供を求める」
「鉄板だね」
 作戦会議で出した案をホワイトボードに箇条書きにしている。本来、今後の予定を書くためのホワイトボードだけど、2週間後の中間報告とあとはせいぜい公共料金やテナント家賃の支払い期限くらいしか予定がないためメモ代わりに使っている。
「これから《物語》から聞いた情報をまとめてコピーしまくるからできたら貼りに行こうか。僕は街の西側に貼っていくから、ポム子ちゃんは東側をお願いね」
「東……ってどっちだっけ」
「えーと……僕は大和書店の方向に貼っていくから、ポム子ちゃんはラーメン竜藤のほうお願いね」
「わかった」
「今回はいつもの猫とか犬とかとは違って、物語相手だからね、文化レベルが高そうな場所を狙って貼っていこう」
「なんとなく言っていることはわかるけど、なんとなくしかわからない」
「んー、住宅街とか、高校とか大学とか、書店とか図書館とか?コピーしている間にこのへんに貼って、っていう場所をマークした地図を作るね」
「うんうん」
 街のどのあたりに貼るべきか、いくつか候補をピックアップする。流石に物語の嘘を暴くなんて依頼は初めてなので、まだ自分の中にパターンができていない。
「その後、僕は知り合いの図書館の司書さんとか、書店の店長さんとか、あとは出版関係者の人に話を聞いたりアドバイスをもらったりしてくる。もしかしたら何か上手いやり方を彼らなら思い付くかもしれない」
「その間に私はタロットとダウジングを行う」
「うん、その間の電話番もお願いね。夜になったら成果を伝えあってもう一回作戦会議、っていうのが今日の予定だ。ここまで何か質問は?」
「ん、大丈夫。ただ――――」
 ポム子ちゃんはそこで目を伏せて言葉を止める。何か言いづらいことがあるのだろう。ポム子ちゃんが言いやすいように意識的に笑顔を作る。
「うん、なに?」
 しばらくポム子ちゃんは逡巡して、そして僕の目を見返して言った。
「多分、まだ魔法は有益なヒントをもたらさないと思う。まだ、私たちは己の無力さを痛感してない、絶望してない、やれることがたくさんある。だから魔法じゃ何も変えられない、と思う」
「うん、大丈夫。わかってる」
 そう、現実的な手続きで達成できることに対して魔法は効力を発揮しない、それも魔法のルールの一つだ。魔法は知恵もなく、経済力もなく、コネもなく、どうしようもなく追い詰められた人のための力だ。まだ、この《物語》の嘘を暴くという依頼について僕たちにはいくらでもやれることが残っている、だからまだ魔法の出番ではない。
 さて、なんといえば誤解させずに、彼女を傷つけることなく説明できるだろうかと僕は悩む。確かにまだ魔法の出番じゃないし、彼女の魔法に何か期待しているわけじゃない、でもだからって彼女が無力ってことじゃ決してない。出番じゃないっていうのは単に出番じゃないって意味だ。
「そんなこと言ったら張り紙だって誰も電話しないかもしれない、知り合いにあたるのだって全然無駄かも知れない。でもそれが探偵的手続きって奴なんだ。"やらないよりかは多少マシ"を積み上げて積み上げて、ああこれは無駄だった、この記述は事件の真相とは関係ない、ちょっと冗長に感じるこの文章はきっと筆が踊っただけなんだろう、そういうところから伏線を読み取ってそれで最後に真実にたどり着くのが探偵って奴なんだよ。だから今は一つ一つできることをやっていこう」
「……うん、わかった。がんばる」
 それは探偵のやり方であって、魔法使いのやりかたではない。魔法使いだったら、自分の無力さに泣いていたらあるとき魔法がどうにかしてくれる、それが魔法使いのやり方だ。でも、僕は探偵だから探偵のやり方しかできない。魔法使いの彼女に探偵のやり方をやらせるのは正しいのだろうか、と思うこともある。でも結局、僕は探偵でポム子ちゃんは魔法使いで、二人で生きるならどっちかのやり方に合せるしかないんだ。
「ねえ、ポム子ちゃん」
「なに?」
 聞き返されて、僕は彼女に聞けることなんてないことに気付いた。僕の隣にいて苦痛じゃないか。僕のところにきたことを後悔してないのか。ずっと僕の隣にいてくれるのか。そんなこと、聞けるわけがない。
「頑張ろうね、まずは張り紙の作成からだ」
 結局、僕の言った言葉それだった。
 
 
 
 さて、居村美沙季の殺された夕方歴50年代という時代は「思想」や「政治」を含むあらゆるものの感受のされ方が変わっていく最中であった。
 夕方歴40年代は「生産」の時代でありモノの価値とはすなわち「如何に役に立つか」に基づいていた。冷蔵庫は冷やすためのものであり、車は走るためのものであり、その役割を果たせることがモノの価値であった。しかしながら、50年代においてモノが溢れるようになると消費のために生産がされるようになる。次から次へと新商品が開発され、古いものは消費されるようになった。そうなったとき、モノの価値は「如何に役に立つか」ではなく「どのような物語の中にあるか」という価値へと比重を移す。例えば、何に由来するするのか、どのような思想によって作られたのか、話題性に富んでいるか、持っていることで人々の中心に立てるか、などである。
 このようなモノが物語として消費される時代の中で、自己表現の手段もまた「思想」から「消費」へと変わっていく。「思想」や「政治」が依然として自己表現に使われることは同じであるが、そこにすでに特権性はない。思想や政治は、ファッションや音楽と同じ次元のものであり、違いは物語の違いだけということになる。
 とすれば灰色戦士達が何故、居村美沙季を殺さなければいけなかったのかが見えてくる。後述するが、彼らは思想というものの特権性を守るために、あらゆるものを物語として消費する居村美沙季の感受性を殺さなければいけなかったのだ。
 

 
 
 
「うん、中間報告にはいい報告ができそうだ」
 依頼を受けた日の夜、僕は予想外に依頼が上手く言っていることに興奮が隠せなかった。自分を落ち着かせるために、ポム子ちゃんの淹れたコーヒーを一口すする。コーヒーは淹れ方をもう一度説明した甲斐があって泥水よりもコーヒーに近い味わいになっている。もう何回か練習すればそのうち完全にコーヒーになるだろう。
「何もかも上手く行きそう?」
 ポム子ちゃんが尋ねる。
「そうだね。今日何人かこういう方面に強そうな人に聞いたんだけどなんかイメージより簡単にいけそう。お金持ってそうだからいいけど、ちょっと依頼料ふっかけすぎたかも」
「そっか、じゃあまた魔法の出番はなさそうだね」
「ポム子ちゃん?」
 さっきまで上手くいっている興奮で気付いてなかったけど、ポム子ちゃんの様子がおかしい。視線は下を向いているし、声にも元気がない。
「うんまあ、今回はそうだね。魔法に頼らなくても上手くやれそうだ」
「前回も前々回もそうだったよね」
「うんまあ、そうだったかも」
 なにかとても不味いことが進行しているような、あるいはとっくの昔に不味いことが進行し終わったような、そんなチリチリとした焦燥感が胸にわき上がる。
「じゃあもう、魔法も魔法使いもいらないよね?」
「そんなことない」
 その言葉は考えるよりも先に口から出てきた。
「そんなことないよ、ポム子ちゃん」
「そんなことはないのはそっち。魔法は何も出来ない人の力、何もかも自分で出来てしまう人の物語には魔法は必要ない。多分、探偵には魔法使いは必要ない」
「そんなことない。そんなことないんだ。どうしてそんなことを急に言うのさポム子ちゃん、これまでずっと二人で上手くやってきたじゃないか」
「急にじゃない、ずっと考えてた。魔法使いは強い人には必要ないって、魔法使いに先なんてないって、ずっと考えてた」
 ポム子ちゃんを納得させる言葉を探す。
「そんなことを言ったら探偵だって魔法と一緒さ。なんで僕たちが探偵なんかに憧れたかわかる?僕たちだってなにも持ってなかったから探偵なんかに憧れたんだよ。勉強もできなくて、運動だってできなくて、とびきり好かれてるわけでも尊敬されてるわけでもなくて、何かすごい人間になれる根拠なんてポケットをひっくり返したって何一つなくて、でも自分はすごいっていう幻想だけあってだから探偵なんだよ。頭の良さを計るテストなんてどこにもないから自分が頭いいって信じ込んで、だから変人でも運動ができなくても頭がいいってだけで事件を解決する探偵に憧れたんだよ。魔法が夢物語なら、探偵だって夢物語なんだよ」
「あなたは優しいね。でも強い――――あなたの様に強い人が、どうしてそんなに優しくなれるの?」
 その質問をぶつけられたなら、探偵はこう答えなければいけない。
「タフじゃなかったら生きていられない。優しくなかったら生きている資格がない」
「うん、だから魔法使いは生きていけない。生きていくには魔法使いは弱すぎる」
「探偵だって弱い。探偵だって夢物語だ」
「ううん。あなたはもう夢物語の中を生きていない。現実を知って強くなった。探偵の物語には先がある。あの時思っていたものと違っても、夢見たものがそこには何一つ残ってなくても、頭のよさで何かになるという物語には先がある。でも、魔法使いはダメ人間でい続けたくなかったらいつか捨てなきゃいけない」
「違う、違うんだよ。探偵だっていつか捨てられる物語なんだ、何も変わらない」
 違うのは僕だ。探偵という物語だって魔法使いと同じくらい夢物語だなんていう言葉にはなんの意味もない。問題なのは彼女が魔法使いの物語をもう信じられないことだ、魔法使いは役に立たなくて必要とされなくて、だから魔法使いは誰かといられないとそう考えていることだ。落ち着こう、探偵らしくクレバーに解決しよう。
「役に立つ必要なんてないんだ。誰かの役になんか立たなくたって愛されることはできるんだ。僕の隣にいて欲しいんだ。そうだ、だったら二人で探偵になろう。二人でタフさと頭のよさで世界を変えていくんだ。きっとそれはすごく楽しい。そうだ、そうしよう」
「そんなの信じられない。今のまま愛されるなんて物語、嘘っぽい」
「信じられなくてもいいんだ。魔法使いは信じることが力かもしれない、信じるものしか選べないかもしれない。でも、信じれないものを選ぶことだって本当はできるんだ。現実の限られた選択肢の中から一番マシかなってものを、信じないまま、妥協して信じるふりをして選ぶことだってできるんだ。そうやって色々な疑いながら妥協して生きていこう。みんなそうやって生きてるんだよ」
「ごめんなさい。私……信じられないよ」
 
 
 
 居村美沙季が描いたという絵本、「魔法使いポム子ちゃんの冒険」は非常にオーソドックス、という言い方が正しいかどうかはわからないが非常に「それっぽい」ものだ。魔法使いのポム子ちゃんは、太陽を隠してしまった魔女から太陽を取り戻すために夜の世界を冒険し、その過程で起こる様々な問題を魔法で解決する。そこに見えるのは白馬の王子様に象徴されるような「夢見がちな少女」の物語であり、革命とはかけ離れている。
 もしも、居村美沙季がこの「夢見がちな少女」を表現しようとするのであれば、それは革命思想によってではなく夕方歴50年に開花する消費社会的なものによってであり、それこそが「ポム子ちゃん」が生きる可能性として開かれた唯一のものであったように思うのだ。この絵本から読み取れるのは、自分の中の物語を表現する言葉を持たない「夢見がちな少女」があるとき革命思想に出会ってしまった悲劇性である。
 

 
 
 
 ニュースキャスターが居村美沙季が死んだという原稿を読んでいるのを聞いて、僕はラジオの電源を落とした。ポム子ちゃんの出て行った寂しさを忘れるためにつけていただけで別にニュースが聞きたかったわけでは全然ない。
 ポム子ちゃんが魔法使いはいらないと言った次の日の朝、ポム子ちゃんは事務所から姿を消した。黄身を崩さずに目玉焼きをつくることさえできない彼女がちゃんと生きていけているのか僕は不安だけど、それから今まで彼女は帰ってきていない。
 居村美沙季は僕の知り合いの女の子だ。彼女は中学校に行かずよく僕の所に遊びに来ていた。彼女が中学校に行かない理由は聞かなかったけど、彼女がつらく苦しいものから逃げていたことだけはなんとなくわかった。僕だってそんな暇じゃなかったからいつも相手をしてあげられていたわけじゃない、だから僕が子供の頃に読んだ大量の本を発掘して彼女が暇なときいつでも読めるように置いておいた。僕は探偵物語に憧れて探偵になったから、だから彼女に気軽に簡単な気持ちでこう言ったんだ。
「物語には力がある」
 そんな彼女が事務所で描いたのが「魔法使いポム子ちゃんの冒険」だ。
 もしも、「魔法使いポム子ちゃんの冒険」に最初の嘘と呼ぶべき嘘があるのなら、それはあの日僕が言った「物語には力がある」だなんていう無責任な言葉なんだろう。
 
 
 2週間後に中間報告を受けにやってくるはずの《物語》は約束の日に姿を現さなかった。こちらから連絡を取ることもできず、もう会うことはないんだろうな、と僕の探偵的な勘はそういっている。
 さて、――――とはいえ探偵だから物語の最後には真相にたどり着くことができる。
 まだあの依頼の真相が僕にはわかっていないが、いくつかの推理はある。それを順番に探偵的手法で確認していけば明らかにすることができるだろう。
 例えば、あの《物語》はかつて居村美沙季が描いた「魔法少女ポム子ちゃんの冒険」で、忘れ去られようとしている《物語》の復讐だったかもしれない。居村美沙季は新しい物語に出会い、もう「魔法少女ポム子ちゃんの冒険」を必要としていなかった。かつてアレだけ一緒に冒険して、ワクワクを共有した居村美沙季が「魔法少女ポム子ちゃんの冒険」を忘れようとしていることが許せず、だからまだ彼女が憶えているうちにグロテスクに思い出をぶち壊そうと《物語》は画策した。これがあの依頼の真相、とか。
 あるいはあるいは、復讐なんてつらいお話じゃ全然なくて、忘れさられようとしている《物語》の救助信号だったのかもしれない。助けを求めたかったけど、その方法が分からなくてあんな風になってしまったというのも全然あり得る。
 いやだったらこんなのはどうだろう、《物語》は居村美沙季を救おうとしていた。彼女が革命という新しい物語に傾倒していることに危機感を覚えた《物語》は例え自分自身が解体され無力になろうとも、「物語には力なんてない」ということにしたかった。そうやって革命という物語に傾倒している居村美沙季をどうしても止めたかった。お、これはなかなかいいぞ、感動的だ。
 他には《物語》のS.O.S.だったという説があるのなら、あの《物語》の正体はポム子ちゃんで、ポム子ちゃんの助けを求める悲鳴だった、なんていうのも全然あり得る。
 あるいは《物語》の正体が《物語》ではなかったというのがありなら、あの《物語》は《思想》だったなんていう展開はなかなか意外性があっていいかもしれない。あれは《思想》が《物語》を無力化するための罠だったのだ。「物語には力がある」という嘘を暴かれた《物語》は力を失い、《思想》は特権的な立場であり続けられる。
 
 
 まあ、真相はおそらくそんなところだろう。それを確かめようとすれば確かめられるだろうけど、僕はポム子ちゃんのいなくなった事務所のソファで横になっているだけだ。
 真相なんて確かめて、関係者を集めてその前で探偵が披露して、そうして物語を終わらせて、そんなことになんの意味があるんだ。あるいは真相が明らかになればこの物語のテーマがはっきりとしてなにかメッセージや教訓が得られるかもしれない。馬鹿馬鹿しい。
 今さら、探偵が活躍する物語でなにを伝えようっていうんだ。探偵だとか魔法使いだとかそんなものに憧れる時期はとっくの昔に終わったんだ。今さら探偵が喋ることなんてなにもない。
 だからこの物語は下の一文で終わる。それ以外に言うべきことなんてなにもない。
 
 
 ただ僕の胸にはもう戻れない日々に対する、懐かしさと寂寥感だけが残っていた。
 
 
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 四月馬鹿達の宴というフリーゲームをプレイしたのでその記念に書きました。