メンタルオブジェクトの存在証明

某所に載せたのをこっちにも上げて2012年最初の更新にしたいと思います。元々は理由があって書き始めたんだけどその理由は消失してしまったために行き場のなくなった小咄の供養です。

いや、四肢切断ダブルピースは一応なんとか続きを思い付いたから書けるよ!そのうち書くよ!

ところでこの、連載シリーズを放置して書きたいものを書いて言い訳する感じって、2000年代最初のほうのテキストサイトみたいでなんだか懐かしいですね……。







†††


 ……これはファーストフード店で小川真理と御子神都がかわした会話である。

「そういえば、モンゴリアン・デス・ワームって知ってる?」
「モンゴリ――――なんです、それ?」
「ゴビ砂漠周辺に生息するといわれているUMAのこと」
「ユーマ?」
「Unidentified Mysterious Animal――――直訳すると未確認で謎めいた動物、ってところかしら。まあ、それでモンゴリアン・デス・ワームなんだけど、まあワームっていうくらいだからミミズ状の生き物なんだけど1.5メートル近い体躯を持ち、相手を殺す毒液を吐き、さらに電撃まで出せるんだとか。わくわくするわよね」
「はあ……そういうものですか」
「1800年代初頭、ロシア人研究チームによってその存在が目撃され、2005年にイギリスの研究チームによって本格的に捜索が開始された。専門家の見解としては"ほぼ間違いなく存在している"。それがモンゴリアン・デス・ワーム」
「ちょっと小川さんのいうことですから嘘か本当かわかりかねます」
「残念ながらこんな作り話ができるほどのセンスは持ち合わせていないわ。でも、作り話といえば専門家によれば毒液を吐くっていうのは寓話に過ぎなくておそらく実在のモンゴリアン・デス・ワームは毒液なんて吐かないんだとか。そうなると電撃が出せるって話も疑わしいし、こうなると本当に見つかったら私は喜んでいいのか、って思っちゃうわね」
「私はそのモンゴリアンなんとかさん――――」
「モンゴリアン・デス・ワーム」
「そうそのモンゴリアン・デス・ワームを知らないのでなんともコメントに困ってるんですが……」
「もう、そこは本質じゃないのに。じゃあ、身近な例としてツチノコにしましょう。あのお腹の膨らんだ蛇。流石にツチノコくらいはみやっちでも知ってるわよね?」
「もちろん知ってますけど」
「例えばツチノコが発見されて、研究者によって爬虫類トカゲ科ツチノコなんていう分類がなされたとして。それが本当に僕たち私たちが愛したツチノコなのかしら、ってそういう話」
「別に私は愛してませんけど……見つかっちゃ駄目なんですか?けっこうニュースになったりして日本中が喜ぶと思うんですけど」
「そりゃあ、未確認だった動物が見つかるっていうのはロマンある話だとは思うけどね。私たちが愛したツチノコは爬虫類トカゲ科のツチノコなんかじゃなくて、不気味で、いてもおかしくないけど多分いない、そういうツチノコなんじゃないかしら。見つかってしまったツチノコはシマヘビやアオダイショウなんと同じ、ただの爬虫類に過ぎない」
「まあ、そう言われるとツチノコなんてただの腹の膨らんだ蛇ですけど。でもいなかったらただの想像ですよね?」
「そう、仮にツチノコがいなかったら、"ここまで探して痕跡が見つからないならもういないと考えてもいいだろう"なんて思えるところまで探してツチノコが見つからなかったら。そしたらツチノコはただの想像になってしまって、それも僕たち私たちが愛したツチノコではない。あーあ、いなければ妄想、いればただの生物、どっちに転んでもロマンはなくなる。結局のところ最後までいけばロマンは必ず敗北する、ってことかしらね」
「でも、目撃情報が上がってから結論がでるまでの間は間違いなくロマンなんでしょう?だったらそれでいいのでは?」
「それ、よく考えないまま。なんとなく落ち込んでる私を見てそれっぽい前向きな結論に落ち着かせようとして言ってるでしょ」
「流石小川さん鋭い……ご指摘の通りですごめんなさい」
「ううん、ありがと、嬉しい。それに意地悪で言っただけでまったくもって貴方の言う通りだと思うわ」
「だったら最初から素直に頷きましょうよ。なにか怒らせたかと思ったじゃないですか」
「そもそもこの世には現実以外ないんだから"ロマンVS現実"なんて構図にして勝ち負けの話にした時点で負けるしかないのよ。どうなったって"私たちの愛したツチノコ"なんてどこにもいない。だからそれでも勝ちたいのなら"途中で勝負をおりる"しかない」
「それは負けとは違うんですか?」
「"勝ち逃げ"ね。最後の最後までは付き合わず、適当な勝ってるところでやめてしまうのよ。ツチノコが発見されるまで夢見て、ツチノコが発見されたら夢が現実になったと喜んでそこでおしまい。実在した生物として解析されて分類されてしまうツチノコのことなんて忘れてしまう。それで例えツチノコがなんのロマンもないただの生物になってしまったとしても"勝ち"だけ残るわ」
「はあ……でもそれってなんだか嘘くさいというか。違う気がします」
「あらそう?でもだとしたら嘘じゃない、本当の勝ちっていうのはどこにあるのかしら?」
「うーん、それはほら。ツチノコをちゃんと愛して、こう、例えばずっとツチノコを観察して学術好奇心を満たすとかですね……」
「でも、それってツチノコがいるかいないかっていうロマンの話とは別よね?」
「うーん、そうですけど……。でも、でも、なにかそんな“勝ち逃げ”とかじゃないもっと価値のあるなにかってあると思うんですよね、ツチノコがいたら」

 ……この会話はこのあとすぐ注文していた料理がきて中断されてしまい、もう二人とも続きを話すことも思い出すこともなかった。




 さて、この物語は最後までいかないで"途中で勝負をおりる"物語だ。
 この二人はお互いに誤解があり、悩みがある。しかし、それらの誤解は物語の中で一貫して解消されない。物語を通してそれらが少し解決したかのように見えたとしても、そのときは新しい誤解と新しい悩みがあるだけで、それは解消というより問題が形を変えたというだけだ。
 それは価値のない“逃げ”でしかなくもっと価値のあるものを手に入れることが二人はできたのかもしれないが二人は適当なところで勝負をおり続けるだけだ。
 しかし、もしお互いに考えていなかった部分を考え、触れてこなかった部分に触れて、誤解を完全になくしたとして、そのとき二人がまだ友達でいられるかどうかは誰にもわからない。
 もしこの物語に意味があるとすればそれは冒頭で示したような意味のない会話をこの物語のあとも二人はするということだけだろう。





メンタルオブジェクトの存在証明





 小川真理は大学の帰り道、ふと嘆息した。
(今、目の前にあるものを頑張ったとして――それがなにになるのかしら)
 そんなことを考えてしまう。
 真理は東京の大学に通う大学生四年生だ。その大学は誰もが知っているというような有名で権威のある大学ではないが、大学というものにそれなりに詳しい人間なら存在を知っていて、中堅大学と呼ぶ人も難関大学大学と呼ぶ人もいるようなそんな立ち位置の大学だった。
 今は就職活動を終えて来年の四月から勤める場所は決まっていて、卒業に向けて卒業研究を行っている。
 しかし、おそらく今の実験結果をまとめただけでも卒業はできてしまって、指導教官はもっと実験を行いデータを取って考察しろというがはたしてそれに意味があるのだろうかと考えてしまう。
 内定が出て勤める場所が決まってしまうまではもう少しやる気のようなようなものがあったような気がするし、楽して卒業なんてしないで力をつけて大学を出たいとすら考えていた。
 しかし、内定が出て自分の道が決まると、とたんいやる気をなくしてしまった。
(なんていうか、目の前のこれを頑張っても、多分私には何者にもなれない、そんな気がしちゃうのよね)
 今自分が頑張るべきはどう考えても目の前の研究なのだが、それを頑張ったところでなにかすごい人間になれるとは思えない。自分がなにかすごい人間になるためにはもっと昔から努力してはいけなくて、今からなにをやったところでもう平凡な人間にしかなれない、そんな感覚がつきまとっている。
 そんなものは甘えで、自分はまだ若いから色々とおそらくやれるし、おそらく十年後は十年後で“なんで十年前のあのときもっと努力をしなかったんだ”と悔やんでいるだろうとは思う。それに、研究をしても何者にもなれないと思うのなら研究を進めながらもっと別の自分の価値を高めるような努力をすればいい。
 しかしそれでも
(きっと私はもう何者にもなれないんだろうな)
 とそんな諦観の念が湧いてきてなにもやる気が起きない。
 おそらくは指導教官に怒られたくないしみんな頑張っているから、という消極的な理由でそれなりに頑張ってそれなりの評価は貰うだろうがそれはそれだけのことで――なにか意味のあることとは思えない。
(――――あっ)
 真理はふと人混みの中に知り合いの姿をお見つけた。御子神都だ。髪が縮れているのにショートに切り揃えているために酷く襟足が広がり頭が大きく見える。クセが強いから伸ばしたほうがいいと何度も言ったのだがそれでも短く切っているところをみるとなにかこだわりがあるのだろう。
 御子神都は中学生の頃からの友達だ。今でこそ髪を短く切ってはいるが当時はのばしていて、如何にも“かわいい女の子”という見た目と振る舞いだった。自分が頭悪いと認識していて、でもそれに対して過剰に自分を貶めることはなくむしろ頭がいいだけの人間よりも自分の方が素朴に物事を考えているから正しいはずだ、とでも思っていそうなどこにでもいるかわいい女の子だった。
 都の振る舞いは意図的かどうかはわからないが完璧で、完璧で同姓の目から見てもかわいくてだから自分は仲良くしようと思ったのだった。
 しかし付き合ってみてわかったのだが彼女は酷く怜悧な一面がある。自分を幸せにしない人間は容赦なく切り捨て、いつだって住みやすい“自分の王国”を周囲に築いている。そして間違っていることに自覚的に“自分に都合がいい考え”を採用することができる。
 それは不器用で人と仲良くやっていかないことばかりでいつも悩んだり苦しんだりしている真理にはない部分で、気付いたら都のことを尊敬して好意を寄せていた。
 あれから7年程度たち、もはや少しばかり頭が悪そうに見えるかわいい喋り方もしなくなって、“頭がいい人間”に対して尊敬の念を向けるようになったようではあるが未だに彼女は怜悧なままだ。
 さっきまで悩んでいたことなどすっかり忘れて自然に笑顔が浮かんでしまう。
 駆け寄って声をかけようとした――が、うつむいて重い足取りで歩くその様子は如何にも“とぼとぼ”といった様子で声をかけるのに躊躇う。
(向こうはこっちに気付いていないみたいだし――もしかしたら話しかけて欲しくないかもしれないし話しかけなくてもいいかな?)
 と、そう感じてしまう。
 真理にとって御子神都は一番の友達で、こうして偶然会えたことは嬉しくてしょうがないし、できればこの機会を逃さず話していきたい――だがおそらく向こうにとってはそうではない。真理にとっては一番好きで仲良くしたい相手でも、おそらく都にとっての真理は八番目か、十五番目か、おそらくはそれくらいの相手なんだろうとなんとなく感じている。
 そしておそらくは自分が都のことを一番の友達と思っているということも信じられてはいない。ことある毎に好きだと口にしてはいるがおそらくは冗談だと思われている。
 そのことに対して悲しさを覚えないといえば嘘になるが、逆にそのことに安堵もしている。もし仮に自分が都のことを一番の友達だと思っていることを悟られたら、都はそれに対してなにかリアクションを取らなくてはいけない。負担を感じたり面倒さを覚えられたりして今の上手くいっている友人関係がよくない方向に変化してしまうかもしれない。
 だから真理は自分の好意が冗談のように受け取られるのを否定しようとせず、むしろ積極的に冗談だと思われるように振る舞っていた。
(私も悲しいときは人を遠ざけたりすることあるし、煩わしく思われたくないし、出会ったからといって挨拶しなきゃいけないなんてこともないし、それにもう通り過ぎてしまいそうだし)
 と彼女が話しかけたい自分が納得する程度の“話しかけない理由”を探しているとふと都が顔を上げた――目が合う。
 目が合ってしまえば話しかけないわけにもいかない。
 嘆息して息を吸い込み、
「みやっちー!みやっちみやっちみやっちー!」
 と少々大げさすぎるくらいに手を振って声をかける。
 実際に凄く嬉しいのだがそれを悟られたくはないために、少々大げさに感情を表すことでそれを冗談っぽくする。
 これは彼女がよく使う手法で例えば彼女がゲームで負けがこんだりすると大げさに悔しがったあとに「悔しくてしょうがないから私が勝つまでやるわよ」などという。すると実際に彼女はすごく悔しくて勝つまでやりたくて、でもそれを表に出すと気まずくなるだろうしかといって無理に気にしてないように振る舞ったり黙ったりしてしまってはやっぱり気まずくなるんじゃないか、などと悩んでいるだなんて誰も気付かず冗談だと思って流すのだ。
「あ、小川さん。こんにちは、大学の帰りですか?」
 都の質問に
「あー、うん、まあね。みやっちはお仕事の帰り?」
 若干の気まずさを感じながら答える。気まずさを覚える必要は特にないのだが、あまり都に対して自分が大学に通っていることを意識させたくない。
「あ、いえ。今日はおやすみです。今日はお買い物の帰りですね」
 話ながら並んで歩く。
 都は中学を卒業してから高校にも大学にも通ってはいない。別に本人がそのことに何か思ってるというわけでもないだろうが親の金でのうのうと大学に通っている身としては同じ歳なのに働いている都に少しばかりの罪悪感がある。
(別にこんな罪悪感を抱く必要はないのだけれども)
 しかし、彼女にはどうしてもそのことを意識せずにはいられない理由がある。
「そ、ところでみやっちはご飯はもう食べた?」
 口にしたときにはその問いをしたことを真理は後悔していた。とりあえず「もう食べた」と答えられたら「実は私も食べたの」と答えて冗談だったと思わせようと心に決める。そうすれば気まずくなるようなことはないだろう。
 しかし、もし「まだ食べてない」と言われてしまったらどうしようというのだろうか。そのときは「一緒に食べに行こう」とそう答えなければいけない。自分にそんなことができるのだろうか。
「まだ食べてませんけど」
 と答えられてしまったのだった。
(うう、うううう)
 会話の流れを考えれば誘わなくてもいけない。いけないのだが――――
(もし断わられてしまったら――いや、むしろ本当は嫌なのに食べていないと言った手前断わりづらいという理由で了承されてしまったほうが怖い)
 などと考えてしまってどうしても次の台詞が出ないのだった。
 急な沈黙のまましばらく並んで歩く。
「えー、小川さんえー。ここで会話終了ですか?」
「ん?私は聞いた。貴方は答えた。ここで終わることにいったいなんの不思議が?」
 冗談のような言葉はスラスラと出てくる。
「えええ……どう考えても一緒にご飯食べに行こうって流れだったじゃないですかー」
「そんな伏線は張ったつもりは欠片にもないのだけれども……貴方がそんなに一緒に食べたいのなら食べにいく?」
「そうですね!私がどうしても一緒にご飯を食べにいきたいのでご一緒してください!お願いします!」
 自棄になったように都はいう。小川の葛藤はあっさりと解決してしまった。その上、
「うう、今の会話完全に小川さんの掌の上って感じだった気がします。こういう流れになることが完全にわかった上でやってそう」
 などと完全に的外れなことをいうのだ。
「流石にそんなエスパーみたいな真似できないわよ」
「どうですかねー。小川さん頭いいからそれくらい簡単にやっちゃいそうですからねー」
「毎回思うのだけれども貴方の中の“小川さん”って本当優秀でお前誰だよって感じよね」
 気付かれないようにこっそりと溜息をつく。
 頭がいい人間に思われるのは気分がいいし――そう思われるように振る舞ってきた。しかし、都がこうして自分のことを賢い人間だと思っていることが最近どうにも苦痛だ。
 きっと友情は対等な人間同士にしか成り立たなくて、こうして尊敬されている間は自分と都が友達になることはない、そういう風に考えてしまう。
 自分のことを頭がいいと思っている人間が多いことはなんとなく感じているし、通っている大学もそこそこに名前が知れている、そういう意味では自分は客観的にみて頭がいいのかもしれないとは思うが、
(それってそんな尊敬するようなすごいことなのかしら)
 というような気がしてしまう。
 この世には尊敬すべき頭のよさというものがあると真理は考えている。例えばどんな分野でもすぐに物事の本質を見抜いて上達する人間だとか、生きる意味などの問題で苦しんでいる人たちに道を示せるだとか、あるいは軽く卵の先を割ってから机にたてるような、そういう頭のよさだ。それらは確かに素晴らしく、確かに“人間として向こうの方が上”という気分にさせられる。
(でも私の“頭の良さ”はそれとは別。専門的な知識を披露したり、すぐ先人達の見解を調べることに気が回ったり、前提と理論を分けて考えたり、そんなものはただの“技術”に過ぎない。そして私はそれを大学で獲得した)
 役に立たないとは思わない。役に立つ状況もあるだろう。高いお金を親に出して貰って大学に通っているわけなのだから役に立つ技能を習得してなければ困る。
 しかし例えばそれはサッカーが上手いだとか、美味しいピザが焼けるだとか、ヒヨコの雄雌を判定できるだとか、そういう技能と一緒で別に持っていたからといって“人として優れている”というような能力ではない。おそらくそれは天才でなくても誰かに教えられれば身につけられるただの技術だが、その“技術”に名前がないために漠然と“頭がいい”と呼ばれてるだけなのだ。そしてそれは価値のある“頭がいい”と混同されてしまってまるで自分が素晴らしい人間かのように言われてしまっている。
 そしてその技能を大学で身につけたからこそ、大学に通っておらず自分のことを素晴らしい人間であるかのように思っている都にはそれを明かせない。
(考えすぎだとは思うのだけれども……変なコンプレックスになってしまいかねないし)
 真理としてはそんな技能なんかよりも都のようにきちんと働いて、そして器用に人間関係を構築して生きられるほうがよっぽど素晴らしいことのように思える。自分のような不器用な人間には決してできない生き方だと。
「それで、なにを食べる?」
「えっと、お寿司を食べるつもりでしたけど」
「寿司って……豪勢ねえ」
「あ、いえ、もちろん別にもっと安い物でもいいんですけど」
「別に寿司でかまわないわよ。みやっち、寿司好きだもんね。ところでってことは“あたごやま鮨”に向かってたの?」
「ですです」
 “あたごやま鮨”は駅前の回転寿司店だ。チェーン店ではなく元々立ち食い寿司屋だったところを30年以上前に回転寿司に変えたのだと聞いている。真理が生まれたときから回転寿司の店だったのでその時代のことは知らないが。回転寿司としては割高だが、それでも老舗独特の趣と個人営業ならではアットホームな店内を都は気に入っているらしい。
「あそこって第三火曜日は定休じゃなかったかしら。確か」
「あー、あー、言われてみるとそうだった気がします」
「そして今日は第三火曜日じゃなかったかしら?確か」
「そうですねえ。じゃあ開いてませんよね……。どうします?なに食べましょうか」
「確かこのあたりに別の回転寿司屋があったはずよ。そこ行きましょう」
「別に寿司にこだわらなくてもい――――」
 都の言葉に被せるように自分の意見をいう。
「ダメよ。私の口はすでに寿司受け入れ体制に入ってるの。今なにを食べても私の口は“おかしいな、寿司以外のものが入ってきたぞ”としか思えないわ。私に“美味しい”と思わせられるのはもう寿司だけなのよ」
「はあ……わがまま……じゃあまあ連れて行ってくださいよ」
「はて……どこだったかしら。確かけっこう近かった覚えはあるのだけれども。まあいいわ、調べる」
 鞄から携帯電話を取り出し、地図を呼び出して検索をかける。
「ほら、やっぱり近かった。こんなに近くてお客を奪い合ったりしないのかしらね?それともこのあたりは特別寿司の需要が高い地域だったりするのかしら」
「どうなんでしょうね」
 聞かれたから答えないわけにはいかないが特に思うこともない、といった無難な相槌をうつ都に真理は携帯電話を差し出す。
「ほら、地図が写ってるでしょ?連れて行って?」
「はい?」
「私、地図を読むのって苦手なの。地図があるのに何故か道に迷うのよね」
「えー、嘘だー」
「本当よ。ほら、お願い」
 まだ半信半疑だがそこまでいうのなら仕方がない、といった態度で携帯を都は受け取る。
(ほら、頭がいいっていったってこんなもの。地図すらまともに使えない)
 真理が地図を持っていても迷うというのは事実だ。携帯電話にはGPSという三角測量を利用して自分の現在地を表示するシステムまでついているのだがそれでも何故か真っ直ぐに目的地につけないことが多い。だからいつも始めていく場所には充分な時間的余裕をもって行くようにしている。
(きっと私なんかよりもみやっちのほうが本当はずっと頭がいいはずだ。私はみやっちみたく器用に生きられないもの)




 あの後。都は真理の携帯電話を見ながら移動して、今は寿司屋で四人がけの席に向かい合うように二人で座っている。
「連れてきてくれてありがとう、みやっち」
 席に着くなり真理はいった。
(本当は地図くらい使えるくせにこの人は……)
 御子神都の心に呆れるような気持ちがわく。しかし、それは怒りなどになならずむしろ微笑ましい気持ちで許してしまう。
 地図なんて地図に記載されている建物のうち見えるものを二つ探せば方角と自分の位置がわかるのだから小学生とかならまだしもあの小川真理が使えないなんてことはまずあり得ない。ましてやそれなりに知っている近所なのだ、使えないはずがない。
 ただその作業が面倒くさくて都に押しつけただけだろう。
(あー、でも正直救われてるなぁ……やっぱり)
 御子神都はそう独りごちる。
 彼女は今日、昔から仲のよかった相手と喧嘩してしまって“人間関係面倒くさい!人間関係にもう頭使いたくない!しばらく仕事で最低限のやりとりだけして本を読んで過ごそう!”と考えていて、ところだったのだがこうして友達と会って話しているとすごく楽しくて癒されてしまう。
 その喧嘩した相手の悪口を人に言ったり、あるいはつらいから慰めて欲しいといったような態度をとれば癒されるだろうとは思う。
 しかし、自分はそういうときどうしても人と距離をとることを選んでしまう。今、人と接したらどうしても悪口を言ったりつらいことがあったと言ったりしてしまうだろうから。
 別に相手の迷惑になるからという理由ではない、単に嫌われたくないというのと、それになにより格好悪いからだ。格好悪いところは人に見られたくない――――特に小川真理のような格好いい人間には。
 そういう複雑な感情が籠もった視線を真理に向けて目が合うと
「本当、貴方がいなかったら私はここにこれなかったわ。貴方は私の恩人ね」
 などと微笑んでいうのだ。どう考えても嘘で大げさに言っているだけなのだが、彼女にそうして誉められると酷く嬉しくなってしまう。
「はあ、恩人ですか。それはどうもです」
 言って思う。
(本当にもう、ずるいよなぁ……)
 小川真理はこういうわがままなところがあるが周囲にいる誰もがそれを“まあ、小川さんならしかたないね”と快く許してしまう。なんというか、一つ一つの態度に自信が溢れていて、しかもその自信に見合うだけの頭のよさと美しさがあって、だからどんなわがままも通してしまう。むしろ、わがままを言われることがまるで親しさの証みたいに感じてしまい嬉しさすら覚える。
「本当、みやっちには感謝してもしきれないわ。貴方がいるから私の人生はこうも楽しいのよ」
「はいはい、本当光栄ですね」
 真理はたびたびこのようなことをいうがどうにも芝居がかっているというか、嘘くさい。
 それが“本当は好きじゃないんだけど周囲と上手くやっていくために嘘をつく”といったようなわかりやすい嘘ならいいのだが、彼女の場合は気まぐれというかまるで“どうでもいいことだからサイコロを振って決めてみたら好きの目が出たから好きという風に振る舞おう”とでもいうような嘘くささなのだ。
 理由がある嘘なら理由がある限りは嘘を付き続けるだろうという信頼も可能だが、彼女の場合はほんの数秒後にでも“飽きた”と一言いって態度を豹変させそうな怖さがある。
(まあ、好かれてるっていうのは事実なんでしょうけど……)
 そうでなければ定期的にメールをしてきたり、こうして一緒に食事をしたりはしないだろう。そもそも中学生を出てから7年近くたっているのに関係が続いているというのは間違いなく好かれているからのはずだ。
(でも、小川さんのような頭のいい人が本当に私を好いたりするものでしょうか……?)
 客観的に見れば好かれているということにしかならないと思うのだがどうにも心から真理に好かれているということを信じることができない。そして、好かれている自信が持てないためにどうにも真理のことを好きになることに躊躇いがある。
 都にはそういう“自分の好きな相手が自分に対して無関心”という状況を酷く恐れるところがあった。
 もし好きな相手が自分に無関心だったらという恐怖をいつも彼女は抱えていて、人を好きになりそうになると“この人は私のことが好きなのだろうか?”と考えて彼女は二の足を踏んでしまう。
 だから、好意を信じられない小川真理とはずっと仲良くしたいと考えていながらもどこか壁をつくって接してしまう。そして、真理の方も無理に仲良くなろうとせず一定の距離を保つため7年の間ほとんど距離感は変わっていない。都の主観でいえば仲良くしたいまま7年間片思いをし続けているように感じているということになる。
 自分以外にもっと仲のいい友達がいることを想像してはなんとなく悲しくなって、もっと仲良くしたいと思うのだが彼女はそれを実行に移さない。
(どうなったらその人と親しいとか深い繋がりとか言えるんだろう。思いあってたらなんて誰にもわからない。目に見える何かが欲しい)
 もし、自分が近づいてしまえば小川真理がいつもいう好きという言葉の真偽がわかって――なにかしらの“答え”が出てしまう。それを彼女は恐れているのだ。
「お寿司なんて久しぶりだから楽しみだわ」
 如何にも楽しそうな態度で手を拭いてパックの緑茶を淹れているがその態度もどうにも嘘くさい。そもそも寿司が食べられるという程度のことを真理がそんな楽しみにするとは思えない。
「小川さんお寿司好きなんですか?」
「そうね、世界で4番目くらい」
「トップ3はなんなんですか?」
「そうね、生クリーム、ナタデココ、軟骨の唐揚げ、そして次点がお寿司って感じかしら」
 これは明らかに嘘だ。明日聞けば全然別の答えが返ってくるに決まってる。少なくても4位は変わってるはずだ。
「あら?信じてない」
「そりゃあ、たまたま私が食べようと思ったものが、都合よく世界4位なんて偶然、信じられるわけないでしょうよ……」
「実は貴方がお寿司を食べるつもりだったといってからここに来るまでに間に世界4位まで上り詰めたのよ。私は実は歩きながら“お寿司が大好きな自分”を構築してたの。美味しく食べるためにね」
「どこか無理がありませんか、それ……?」
「貴方だって疲れてるときは甘い物が食べたくなるでしょ?それにあるとき急に何かが食べたくなることとかない?それは別に変わったことじゃないでしょう?今はだから今はお寿司が食べたくて食べたくてしかたないし、楽しみでしょうがないの。さ、早く食べましょ」
「うーん……そういわれるとギリギリ納得してしまいそうな自分がいますけど……」
 なにか反論がないかと考えているうちに真理がひょい、と回っている寿司を取ってしまったためにこの話題はここで終了、という空気になってしまった。
(まあ、元々小川さんと議論してもなんとなく反論できなくなって終わるからいいんですけどね……)
 口の上手さや頭のよさで小川真理に勝てたことは一度もない。
 自分も回っている寿司をとる。目の前で真理が両掌をあわせていただきます、と言ったので自分もつられていただきますとつぶやく。
 寿司を食べるのが楽しみでしかたがないといったのが嘘でないことの証明のように真理は次から次へととって食べている。
「ところで、キノコやウニ、それにナマコなんかを最初に食べた人は凄いって話があるじゃない?」
「はい?」
「んー、つまり、キノコやウニやナマコなんてとうてい食べられる見た目をしてないのによく食べたな、って話」
「あー、はいはいそれはそうですね。ウニなんてイガイガですし、ナマコはなんていうかアレですし、考えてみるとキノコもどこかのっぺりしてて気持ち悪いですものね」
 真理はウニの軍艦巻きを口に運んで咀嚼して飲み込んでから続きを話す。
「でも冷静に考えて、これまでの食に関する知識を全て失って無人島にいるとするじゃない。何が食べられるもので何が食べられないものなのか、何が美味しくて何が不味いものなのか、そういう知識を全部失ってる状況ね?」
「はいはい、ウニやキノコが食べられるかわからないって状況ですね」
「だったら牛や魚よりも、キノコやウニの方を食べると思わない?まあ、キノコはちょっと怖いから食べないとしても……ウニなんてとりあえず割ってみて食べようとすると思うのよね。ナマコだって拾って食べるんじゃない?」
「え、いや、そうですか?」
「だって牛よ?牛?目の前を牛が歩いてて“よっしゃ、あの牛を殺して食べるぞ!”って気分になる?美味しそうだと思う?怖いから近寄りたくないって考えるのが普通でしょ?」
「そう言われてみるとそうですけど……」
「魚だってなんか泳いでるし、捕まえづらそうだし、あんなの冷静に考えて食べないでしょ」
「まあそうですかね……」
「そのへん、魚を最初に食べた人?獣?まあ、そういう存在も偉いわよね。尊敬しちゃうわ。原始人なんかもそういえばチーム組んでマンモスとか倒してたらしいし、みんな偉いわね」
「はあ、そういうものですか」
「ところで――」
 最初から別の話題に続けるつもりだったのだろう、あっさりと話題を終了させた。
「なにか嫌なことでもあったの?」
「え――」
 声と言うよりも呼吸が詰まって喉が震えてしまっただけというような音が喉から漏れる。
「なにか落ち込んでたように見えたから。ごめんなさいね、もっと器用な人なら気を使って触れなかったり上手いこと誘導したりできたのかもしれないけど、私はこういう聞き方しかできないの。別に話したくないのなら話さなくていいのよ。あ、これってなんか刑事さんみたいじゃない?」
「ええっと、“君には黙秘権があるって奴”ですか?」
「そうそれ。君には黙秘権がある、供述は法廷で不利な証拠として使われることがある、あとは弁護人の立ち会いを求める権利があるだっけ?まあ、そんなやつ」
 すぐに別の話題を始めてしまうのは、話したくなければなにも言わずにこの話題に乗ればいい、という気づかいだろう。きっとこの話題を続ければ嫌なことがあったのかどうかという質問なんてなかったかのように振る舞ってくれる。
 だからだろう、人間関係に頭を使いたくないというような状態でも真理といると救われるのは。いつだって彼女はこちらが不快になりそうなところには踏み込まない。
 そしておそらく話したとしても面倒な反論をするようなことはないだろう。
「うーん、あんまり詳しい話はしたくないし、抽象的な話でいいですか?」
 それに詳しい話をしてしまえば小川真理に嫌われてしまうかもしれない、あるいは彼女が一言“それは間違っている”と言えばどんなに反論しても最終的に自分が間違っていることを認めることになるだろう、それが怖い。
 でも、この話に彼女はどう答えるのか、それに興味があった。
「あのですね、ちょっと人と喧嘩しちゃったんですよ」
「あら、あらあらまあまあ、もしかして恋人かしら?」
「そういう色っぽい話じゃないんですけどね……。それでまあ、私としては自分に非がないって自信があってお互い譲らず徹底的に話して結果としてこじれちゃったわけですよ」
「あー」
「なんですか、その“あー”って……」
「いや、ありそうな話だな、って。だって、みやっち自分が悪いと思ったら平謝りするけど、そうでなかったら絶対に論破してやろうって態度で接するじゃない?こじれると泥沼化させるタイプよね」
「うっ……言われてみるとまったくその通りですけど……。まあ、小川さんを論破できたことはありませんが」
 もしかしたら酷いことを言われたようにも思うのだが、酷いと思うより先に“ああ、確かにそうだ”と感じてしまうため真理に対する怒りはわかない。
 それどころか“ああ、この人は私のことをよくわかっていてくれてるんだなぁ”と嬉しくなってしまう。
「奇遇ね、私も貴方に論破された記憶が不思議とないわ」
 にっこりと笑う。
(本当この人はずるい……)
 口が上手いだけでなく“この人になら自分の間違いを素直に認めて謝ってもいい”と思わせてしまう。
「それでちょっと沈んでたのね」
「うーん、まあ正直縁が切れたこと自体よりも、縁が切れた結果として周囲とのあれこれが色々と面倒で憂鬱でしかたないっていうのと、あとまあ何年も上手くやってきたのにこんな簡単に切れてしまうんだな、って思うと――なんだか虚しいなぁ、って」
「とはいえ、仲良くなった何年間と同じだけの時間をかけて少しずつ仲悪くなっていくよりかは、一気に喧嘩して仲違いしたほうが楽そうじゃない?比較の問題ではあるけど」
「まあ確かにそれは息が詰まりそうですけど……あーあ」
 大きく溜息をつく。
「なんていうか、やっぱり人と喧嘩するのは堪えるなあ……。人を嫌いになるのもしんどいし……子供といわれようとなんといわれようと自分のこと好きな人しか好きでいたくない。私のことが好きじゃない人はもう視界に入れたくない」




「なんていうか、やっぱり人と喧嘩するのは堪えるなあ……。人を嫌いになるのもしんどいし……子供といわれようとなんといわれようと自分のこと好きな人しか好きでいたくない」
 その言葉を聞いて真理は表情こそ平然としていたが内心は震えだそうなほど混乱しているのだった。
(ううう、うううううう……)
 自分が都のことを好きなことを信じられないことはなんとなく感じている。だからこそ都は自分を切り捨てるだろう。少なくても真理の中の都はそういう存在だった。
 都はたびたび“自分が傷つかないように人間関係を構築する”と語り、そのたびに真理は自分とは違い都は器用に強く人間関係を築ける人間だと考えていた。現実としては現実的にそう上手く人間関係をつくれる人間でないからこそたびたび問題を起こしてこのままじゃそのたびに自分に言い聞かせるように口にしているだけなのだが。
 何故たびたび口に出しているのか、そう考えればそのことに真理は気付くかも知れないが、都のことを尊敬している真理は決してそのように考えない。都の口にする理想の自分像をそのまま受け入れるだけである。
(どうしよう、いずれこのままじゃみやっちに捨てられる――)
 そのとき真理の胸の中に渦巻いていた感情は怒りであり、焦りであり、そして諦観だった。
 その感情は真理にとって慣れ親しんだものだった。いつだって上手くいかないことに苛ついているが、自分に原因があることが分かってしまっているのでその怒りをどうすればいいのかわからない。
 もし上手く行かない現実に怒りを覚えたとしても手を抜いた記憶があると“あの時手を抜いたのがいけないのかもしれない”と自分の怒りがとたんに正しくないもののように感じてしまう。
 もし都とちゃんと友達をやっているという認識さえあれば捨てられないと信じられるし、捨てられてたとしてもちゃんと怒って文句をいうことができただろう。しかし、自分は都が自分の好意を信じていないということを感じながらも、信じられていない間は重いと思われることもなくなんの“答え”もでないと放置してきた負い目がある。
 真理はとにかく自信がない。手を抜いた記憶が彼女の仲にある限り、自分は“頑張るべきときに頑張らなかった自分”であり“最善の自分”ではないからだ。だからどんな結果を出しても自分が優秀だと彼女が思うことはないし、誰と付き合っても自分に好かれるだけの価値があるということを信じられないからその好意も信じられない。ただ、彼女は好きな相手を尊敬していつ嫌われるのかびくびくするだけである。
(どうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃ)
 自分が都のことが好きなことを証明しなければ捨てられてしまう。
 しかし、愛の存在を証明することはできるのか。それは証明不可能な命題ではないだろうか。
(あ――そうだ)
 ふと頭の中に証明の手順が浮かぶ。考える――果たしてそれで愛を証明することは可能なのか。
(いや、やらなきゃ捨てられるんだ。やるしかない)
 息を大きく吸って、そしてはきだす。
 これから自分がやることの恐怖に肩が震えそうになるが、それ以上に都に捨てられることは怖い。
 小指をピンと立ててその小指を机に対して下向きに垂直にあてる。
 呼吸が荒くなりそうなのを意識的に整える。なにをやっているのだろうかという目をしている都に“何も心配することはないわ”というメッセージをこめて微笑む。
 そして、そのまま腕に下向きの力を入れる。
 ――――ぴきり。
 指の折れる嫌な音がした気がした。




「何やってるんですか!」
 都は自分の喉から悲鳴のような声がでたことを他人事のように認識した。真理の手を掴んで強引に机から離す。
 真理は痛くて喋れないのかうつむいたまま、落ち着けとでもいうように掌を都に向ける。
 都はそれで自分が店中から注目を浴びていることに気付く。曖昧に頭を下げて、注目の必要がないことを示す。
「何やってるんですか、小川さん」
 少し声を落として小川真理に声をかけると、真理も痛みの波がさったのか引きつったのか笑っているのかわからない表情で答えた。
「そうね――愛の証明ってところかしら」
「はい?」
「貴方は自分のことが好きな相手とだけ、付き合いたいのよね?でもじゃあ相手が自分の事が好きってどうやったらわかるの?」
「えっと、それはほら、なんとなく」
 都の頭はまだ急な事態にについてこれていなかったが、それでも質問されたことはわかったので混乱したままの頭で考えて答える。
「そうよね。そもそも愛の存在を証明することはできない。と、いうよりむしろ厳密な話をしてしまうのなら自分以外の人間に心が存在していることすら証明することはできないんだから、その中の一部分である愛なんて証明することができるわけがない」
「は、はあ」
「まあそこまで厳密な話をしないとしても私たちに見えるのは常に行動であって、心なんかではないんだから、感情の存在は行動によってなんとなく“こういう感情を抱いているとしたら納得できるかな”と思わせることでしか表すことはできない」
「えっと、なんの話ですか?」
「私が指を折った理由の話よ。まあ聞きなさい」
 納得なんてするもんか、という目で真理をにらむ。
 真理が笑顔で話すときはだいたいそのまま納得させられてしまうが、今回だけは納得なんかしないはずだ。絶対に真理が間違っている。
「ならば愛は“愛がなければこの行動はしない”という行動によって証明するしかない、心なんて見えないんだからまあそうよね?例を上げるとすれば例えばプレゼントをあげるとか。あれは愛がなければ自分のお金がなくなるだけよ、だからプレゼントは愛の証明に有効なの。アレは“貴方を喜ばせるために私はこれだけの損害を負うことができます”っていうことだから。愛がなければ身銭を切ってプレゼントをあげるという行動を説明することはできない」
 まるで原稿でもあるかのようにスラスラと楽しそうに喋る。
「あとはまあデートだってそれをしている時間に他のことができないわけだから“貴方とあっている時間はなにより楽しいです”ってことよね。他のことが楽しければデートの約束なんてせずに、他のことをするわけだから。つまり、愛の証明というのは損害を負えば負うほど説得力が増すということ。愛が存在しなければ他に説明がつかない行動が求められているわけだから理由がなければ絶対にやらない行動ほど説得力があることになる。そして理由がなければしない行動とはつまり“損する”ことよ」
 真理の言葉にどこか間違っているものを感じる。それだけでなく、もっと相手の立場になって考えられるとか、なにが本当に相手のためか考えて行動できるとか、もっと他にあるはずだと思う。
 しかし、その感情が言葉になる前に真理は結論を述べる。
「私は貴方に好意を信じて欲しくて指を折った。もし、愛がなければ私には指を折る必要がない、よって私は貴方のことが好きなのよ。納得いった?」
「え、いや、ちょっと待ってください。全然納得いきませんけど」
「あら、なるべく分かりやすく説明したつもりだったのに。いいでしょう、聞きましょう」
「えっと……上手く言えないんだけど。まずなんでそんなことをやろうと思ったんですか?」
「あら、好きな人に好きって伝えることになんの不思議があるのかしら。人に恋したら告白するものでしょう?」
 まるで子供に“なんで人を殺すのはいけないことなの?”と自分が当たり前だと考えていることを聞かれてしまった教師のように微笑んだ。
「むー、それを言われるとそうかもしれませんけど。えっと、じゃあじゃあなんとなく話の流れはわかったんですけど、損すれば損するほど愛の証明になるから、愛を証明するために損をする、ってなにか一周してるというか、なんだかすごく詭弁っぽくないでしょうか?」
「すごく詭弁っぽい――ね」
 クスリと笑う。
「“それは詭弁だ”なんて言葉はそれこそ詭弁なのよ、みやっち。詭弁というのは意図的に間違った方向に議論を進めようとする意見のことでしょ?つまり必ず詭弁には間違ったところがあるの。だからこそ“それは詭弁だ”なんて言葉にはなんの意味もない。間違っているところがあるのだから間違っているところを示さなければいけない。間違っているところを見つけられない意見に詭弁というレッテルを貼って間違っているということにする行為はそれこそ議論を間違った方向に進めようというという詭弁だわ」
「う、うう、そうかもしれませんけど」
「それにしてもこの議論はどこに向かっているのかしら。貴方は私を言い負かして“自分は好かれてない”ってことにしたい理由があるのかしら?」
「それは……」
 どう考えても真理が指が折るなんてことは間違っているし、ここで言い負かさないとまたいつか指を折るかもしれない。それは絶対に嫌なのだが、それを上手く言葉にできない。
「わかりました、負けでいいです。小川さんは私のことが好きってことでいいです」
「そう。愛が伝わってなによりだわ」
 にっこりと微笑んだ。
 その後、二人は都が叫んだとき注目を浴びてしまったこともあって、店を出ることにした。
「さって、それじゃあね、みやっち。今日は楽しかったわ。また今度メールするから一緒にごはん食べに行きましょう」
「ええ、是非そうしましょう」
 話ながら都はふと、
(もしかして、指を折ったというのは演技なのかな)
 と考えた。
 そもそも指を折る理由なんてない。あの小川真理が愛を証明するためだなんていう理由で指を折るだなんてあるはずがない。
(うーん、つまり小川さんは私に自分のことが好きな相手とだけ付き合うのは間違っているって言いたかったのかな?それがよくわからないのはきっと私の頭が悪いからなんだろうな)
「さって、また明日から頑張らなきゃな-」
 真理がおそらく伸びをしながらつぶやくが背中越しに聞こえた。
 頑張れ、と心の中で声援を送った。
 

頭蓋骨持ち歩き少女作品コンペのあれ

いわゆるダミー更新。はてなダイアリーの記事をこっちに移す作業で更新を稼ごうとかそういう話。次は多分Togetterへのリンクを貼ることで更新すると思う。

ほら、あれだけはてブはてブロ言うたのにいきなり更新止まったらあれじゃん?一応三日坊主ルールに従って3記事くらいオリジナル記事を書くまでははてブロのこと忘れないつもりだけどさ、やっぱ世間はそうはみてはくれないわけじゃん。世間が見るのは更新という結果であって私がはてなブログのことをどれだけ想ってても伝わらないわけじゃん。

 

そういうわけで頭蓋骨持ち歩き少女作品コンペのために書いた作品をこっちにも載せます。

影響を受けた元は、インターネット上の知り合いの人が登場人物のモデルで、アイデア的には志賀直哉の転生、雰囲気的には後半は筋肉少女帯っぽい雰囲気を目指して、ラストはカミュの異邦人ってところですかね。

 

救済

一、

あるところに人よりやや気が鬱ぎやすい女子高生がいた。名を郁奈といった。郁奈は平日は学校に通い、帰ってはその日出された課題を夜遅くまで片付けていた。そして休日が来るたびに自分の味気ない灰色の生活に対する疑問と不満から気が鬱ぐのだ。決して郁奈は人より学業をこなす能力が劣っているというわけではない、むしろ秀抜していたといってもいい。ただ、郁奈は自尊心が高くそれ故に半端に仕上げた課題を提出することができなかった。郁奈も自分で要領が悪いと自覚していたがどうすることもできなかった。
そんな中、ある日郁奈に恋人ができた。男の名は圭といった。圭はそんな郁奈の性質を心痛してたびたび矯正できないかと声をかけた。

「郁奈さんはもう恋人ができたんですから、もうそんな憂鬱になる理由がなくなったんじゃないですか?」
「いえ、休日が楽しいとどうしてもその分、平日の無味乾燥な生活に耐えられなくなるんですよね。確かに圭さんと出会って幸福の絶対量は増えてるけど日曜日から月曜日までの気分を微分すると凄いマイナスなんですよ……。こんなことなら心を殺して死にたい死にたい言いながら灰色の生活を送ってたほうがよかった。あまりの加速に心がついていけない……」
「そんなこと言わないでくださいよ。僕は郁奈さんと付き合えてよかったと思ってるんですから」
「それ本当かな……?実は後悔してるんじゃないですか?圭さんと話すのは楽しくて楽しくてしょうがないけど、圭さんはどうなんだろうと別れたあとはいつも家で自分の一挙一動を反省して死にたくなります。嫌いなら言ってください」
「嫌いだったら付き合ってないですよ」
「ああ、また愚痴言っちゃった。早く圭さんに甘える癖を直さないとな。圭さんが優しいからいけないんですよ。私思うんですけど今私に必要なのはわかるわかるつらいよねと共感をしめして優しくしてくれる人よりも甘えるなと叱りつけてくれる人じゃないかな。優しくされればされるほど自分が駄目人間になっていくのを感じる」


一事が万事このような調子なので圭も郁奈の気が鬱ぎやすい性質を直すのは長丁場になりそうだな、と話をするたびに思った。


二、

あるとき圭は郁奈に対してこのようなことを言い始めた。

「昔、中国には宦官っていうのがいてつまりそれは去勢をした役人のことなんですよ」
「圭さんはその話を女性相手に始めて何がしたいのかな。ひょっとして羞恥を覚えさせてその反応を見て楽しみたいのかな……圭さん」
「違いますよ。だいたい郁奈さんはこの程度の話で動揺したりしないじゃないですか」

 

軽蔑したような声に全く取り合わず圭は笑った。


「失礼な、私純情ですよ」
「はいはい。彼らはそれで皇帝などに仕えるものとして非常に有用な存在として扱われたらしいですけどこの話を聞いて僕はちょっと関心しちゃったんですよね。僕なんかは身体があるのが煩わしくて煩わしくてしょうがないのに、性欲から解放された人間が後漢時代の中国にいたんだな、って思うと」
「圭さんがよくわかないこと言ってる……怖い」
「僕なんか人間は理性の生き物だと思ってますから、肉欲から解放されるのにかなり憧れます。早くGoogleさんあたりが人格をネット上にアップロードできるサービスを始めませんかね。そしたら僕けっこう本気で喜んで身体を捨てると思うんですよね」

圭はそれからもたびたび身体を捨てたいといったようなことを話した。郁奈はそのたびに共感を示さぬままそういう考え方もあるのだなと受け入れた。

三、

ある時二人は2時の電車に乗って遊びに出かけた。電車は全員が座席につけるというほど人がいないわけでもなかったが、決して満員電車というわけではなかった。座っている誰かの近くに立てばその人物は二人が目的地につくまでのいずれかの駅で降りて座れるかも知れない、しかし二人揃って座れる確率はごく僅かでありまたそこまで長距離の移動でもないということもあり二人はドアの近くに立つことを選択した。そのドアは目的地に着くまでの間一度も開閉しないことを二人は知っていた。
一通り二人が最後に別れてからどのようなことが起こったか、あるいは最近読んだ本などの話をし終えた時ふと二人の間に沈黙が生まれた。圭はその沈黙を無理に話題を探す必要のない心地のいい類の沈黙だと捉えていたが郁奈は自分が何か失礼なことを言ったから黙ったのではないか、あるいはこの沈黙によって相手は退屈を感じているのではないかと怯えていた。
電車が途中駅に停車したさい郁奈は1ミリメートル2ミリメートル程度の羽虫がどこからから飛んできて自分のすぐ前のドアにとまるのを見た。そして電車が動き出すとドアと車両とのスキマから吹きこむ空気にうたれて羽虫は震えだした。それはドアに手を当ててみて初めてその存在に気づくようなドアの周囲1センチメートルにだけ吹くような極わずかな範囲にだけ吹き込む風であったが、それだけに強く羽虫はその場に止まるだけで精一杯のように見えた。
その震える様子が如何にも哀れに思えて郁奈は風から羽虫を守るようにドアに手の側面をあてひさしを作った。すると羽虫は震えのを止めた。
ふと気になって郁奈が圭のほうに視線をむけると圭は完爾とした厭な笑みを浮かべていた。

「なんですかー。何か文句でもあるんですか?」
「え?」
「にやにやと笑っていやらしいなー、もう」
「いやいやいや、完全言いがかりですよそれ。郁奈さん優しいなー、って思って見てただけですよ」
「え、これ優しさなんですか?」
「違うんですか?」

圭の言葉に郁奈はどうして自分が違うと思ったのかふと考えてみる。

「そうか、私は優しさって人が感情移入しやすい生物に対して発動するものだと思ってたんだ。哺乳類とかならまだ優しくできる気はするけど鳥や虫や無機物は何か違うって気がする」
「つまり相手の気持ちになれるかなれないか、っていうのが条件の違いなんでしょうか」
「ああ、多分それです。私は今確かに羽虫に対して哀れみを覚えて風から守りましたけどそれは開発計画が途中でストップして建てられたはいいものの何年も使われず寂れた建物を見たときや車にぶつけられて破損した電気仕掛けの交通整理人形などの無機物を見たときに覚える哀れみと一緒で感情移入してるわけではないんですよね」
「そしてそれを郁奈さんは優しさと呼ばないと、なるほど」

電車が途中駅の一つに止まった。すると羽虫は飛び立ってどこかへ消えてしまった。その様は日々、悪意に怯え無関心に傷つき優しさに心苦しくなる自分に比べて如何にも自由に思えて多少の嫉みを覚えた。

「ああ、そっか。私圭さんの言うこと少し分かったかも知れない。身体があるから駄目なんじゃなくて身体の中に自意識なんてものが入ってるから面倒だってことなのかも。羽虫とかは身体しかなさそうで楽そうですよね」
「羽虫だってもしかしたら毎日"どうして自分は生きてるんだろう"とか"人の目を気にして本当の自分を表現できてない"とか苦しんでるのかもしれませんよ?」

「本当の自分」郁奈は笑い零れた。「圭さんそろそろ議論において"その可能性は著しく低くても否定できないから否定するべきではない"という主張を振り回すのやめましょうよ。これまで発見された"ほぼ確実に正しいと思われている科学的発見"から考えても羽虫ほどのサイズの生物にそんな高度な思考が宿ってるだなんてあり得ません」
しれっとした態度で郁奈は主張する。圭はそれが冗談に対してあえて本気で返すという類の冗談だと知っていたので気を悪くすることもなく笑って聞き流した。
やがて電車は目的の駅に止まり二人は下車した。二人はその後数分間歩き活動写真を見た。見終わって時間がまだあるので郁奈の提案で河原を歩こうということになった。手を繋ぎ河原を歩くという状況にひどく心が惹かれると郁奈は主張した。郁奈はそういった古典的なロマンティックさを好むところがあった。
遠くに見える河に掛かった橋の上を走るドップラー効果によって山並みに音程を変える車が出すエンジン音と水の流れる音、そして二種のリズムが混ざった砂利を踏む音だけが耳に入った。
しばらく無言で歩きそこでふと郁奈は自分が手に軽い鈍痛を覚えているのに気づいた。原因を考えて、どうやら指と指を絡ませる繋ぎ方に問題があるらしいことに気づいた。圭の女性に比べて太い指が郁奈の指の一本一本の間に挟まっているために許容量を超えて指の股を開かなくてはいけなかった。
郁奈は少し考え我慢することに決めた。指を絡ませるような手の繋ぎ方をしたいと望んだ自分からすぐに手を離すのは如何にも軽薄に感じられたし決して我慢できないというほどの痛さがあるわけでもない。ただ気に入らないことがあるとすればそれは自分が痛い思いをしているということを圭が想像だに歩いているということであった。


「そういえば郁奈さんは河原で変わった形の石を見つけて持ち帰るのが趣味でしたね」
「確かにたまにやりますけど趣味と言われるととたんに私が文化から離れた不思議ちゃんみたいですね……。普通に私の趣味は読書ですよ」
「言われてみると石を持ち帰るのが趣味って不思議ちゃんっぽい。なんか怪しい人みたいですね」
「私の習性を怪しいって言われた……死にたい」


「自分で言い出したんじゃないですか」圭は笑った。

「当事者が言うのはいいけど圭さんがそれを言うと私を否定してるニュアンスにしか聞こえない」
「それに僕不思議ちゃんって好きですよ。なんとなく身体と離れてるイメージがあって素敵じゃないですか」
「出たよ圭さんの身体嫌い……どれだけ身体が嫌いなんですか」
「だって煩わしいじゃないですか。性欲だとか疲労だとか。郁奈さんが電車の中で言ったようにそれしかなければまた違うんでしょうけど。僕はごちゃごちゃと色々考えてるわけでやっぱり身体は面倒ですよ。身体から離れてずっと本だけ読んでこの思考を尖らせていくことができたら、それは最高に愉しいだろうなぁ」
「気持ちはわかるような気がするけどそれを認めちゃったらいよいよ自分が駄目人間になる気がして認めたくない……」
「なんでですか」
「だって、世界は思考で動いてるわけじゃないじゃないですか。社会から見たらそんな考えきっと駄目人間ですよ」
「はっきりと言うなぁ。まあ、それは郁奈さんの言うとおりだと思いますよ。やっぱりGoogleさんに期待するしかないないなぁ、"Google人格"とかそういうサービス」
「圭さんはGoogleに期待しすぎでしょ」

上記のような会話をしながらも二人はやはり身体の生み出す欲求にのっていずれは身体を重ねることになるのだろうな、と思っていた。それは期待はあるものの同時にとても汚らわしく厭なことのように思えた。
しかし、結局二人が情を交わすことはなかった。その晩、圭は某国の諜報員とヤクザと警官隊の銃撃戦に巻き込まれて死んでしまったのだ。
郁奈は圭の亡骸を抱いて三日三晩泣いた。


四、

ここからこの物語はファンタジーとなる。


五、

泣いて泣いて泣いて泣いて、少女がもう一生分泣いたかと思ったとき今は亡き恋人の声を聞いた気がした。

「■■■■泣くことな■■何一つないんだよ、■■やく僕■ずっと望ん■■■■身体か■■解放■■■■■」

それはノイズが走ったような声で全ての言葉を聞き取ることはできなかったけど、確かに今は亡き恋人の声だった。そこで少女は気づいた身体を失って世界に偏在するようになった恋人の声は偏在するが故に小さく少女には聞き取ることができなかったのだ。
それを聞き取ることができたのは全方位から聞こえてくるわずかな声を恋人の頭蓋骨の丸みが集めて反射させているからだと。
少女は頭蓋骨にこびりついた腐肉と蛆虫をお風呂で洗浄した。すると恋人の声ははっきりと聞こえるようになった。少女は幸せだった。
そして、少女は頭蓋骨を持って歩くようになった。頭蓋骨少女の誕生である。


頭蓋骨は語る。

「やあ、頭蓋骨少女。どうして人は死ぬのが怖いのか知っているかい?」
「いいえ、知りませんね」
「それはね、死ぬのが怖くないと子孫を残す前に死んでしまうからだよ。昔は死が怖くない人がいっぱいいたんだ、彼らは英雄と呼ばれた。しかし、彼らはみんなみんな子孫を残す前に死んでしまうから、今地球上に残ってるのは死にたくない人類の子孫ばっかりなんだ」
「なぁんだ、そんな簡単なことだったんですね」
「悲しむからどうだとか、神がどうだとか、社会がどうだとか、全部そんなものは自分が臆病者だと認めたくない人たちが後付でつくった理屈なんだなぁ。だから頭蓋骨少女」
「なんですか?」
「君も身体に苦しいことがあったら僕のように好きなタイミングで身体を捨てていいんだ」
「うん、ありがとう。苦しくなったらそうしますね」


頭蓋骨少女はいつも頭蓋骨を抱いて街を歩いた。春は頭蓋骨を抱いてベンチに座り花見をした。夏はプールで頭蓋骨を抱いたままウォータースライダーを滑った。秋は紅葉を見に頭蓋骨を抱き山を散策した。冬は公園で雪だるまを作って仕上げに雪だるまの頭に頭蓋骨を乗せた。少女は幸せだったのだ。


頭蓋骨は語る。

「やあ、頭蓋骨少女。人生はどうして苦しいか知ってるかい?」
「いいえ、知りませんね」
「それは身体と自意識と社会が同じ場所に置いてあるからだよ。身体の欲するがままに生きるには人の社会は複雑すぎて、社会の欲するがままに生きるには自意識が邪魔で、自意識はことあるごとに言うことを変える社会と抗えない力で自意識を無視して主張を通そうとする身体に苛められて隅っこで震えているんだ。だから頭蓋骨少女」
「なんですか?」
「君は君の幸せのために身体と社会を切り捨てていいんだ。幸せのために努力する権利は誰でももっているからねぇ」
「うん、ありがとう。切なくなったらそうしますね」


頭蓋骨少女は頭蓋骨とのデートを続けた。ノドが乾いたりお腹が空いたりするとコンビニに入ってチョコレートとジンジャーエールを買った。そればっかり食べていたのでいつしか頭蓋骨少女の汗はチョコレートとジンジャーエールの臭いがするようになった。
そしてすれ違った人は必ずチョコレートとジンジャーエールが食べたくなってこの年、チョコレートとジンジャーエールの売り上げは急上昇してブルボンと明治とコカ・コーラを喜ばせた。少女はずっとずっと幸せだった。


頭蓋骨は語る。

「やあ、頭蓋骨少女。人生はどうして苦しいか知ってるかい?」
「身体と自意識と社会が同じところに置いてあるから、でしょう?前に聞きましたよ」
「その通りだ。自意識は本来自由なはずのものなのに、身体があるせいでまるで過去と同じか連続してないといけないものだと決めつけられてしまっているんだ。カバに人権を認めろと主張している人間が翌日カバを大量虐殺することはなんの矛盾もないことなのに、何故だか社会はそれをおかしいというんだよねぇ。詩人は一夜で革命家になるし、学徒は一時間で猿になるし、少女は一秒あれば大人になる。それが自然なことなのにねぇ。だから頭蓋骨少女」
「なんですか?」
「君は過去の君を好きなタイミングで廃棄していいんだ。犬が死んだ悲しい記憶があるとしよう、そんなものは君の犬がマタンゴ星と地球の親交のためにUFOに乗ってマタンゴ星に飛び立った記憶と差し替えてしまえばいいんだよ」
「うん、ありがとう。悲しくなったらそうしますね」


そしてある冬、頭蓋骨少女は倒れた。そのままぼんやりしてれば死んでしまうことを頭蓋骨少女は知っていたが怖くはなかった。むしろ嬉しかった。少女は頭蓋骨に救われていた。少女は生涯幸せに過ごしたのだ。


すると死にそうな少女を見て天使が降りてきた。

「やあ、頭蓋骨少女。これから貴方は天国に行くことができます。でも身体に縛られたままじゃ天国に行くことはできないのでその身体と、頭蓋骨は捨ててもらいます。よろしいですね?」
「それはおかしいですよ。人は死んだら世界に溶けるんです。そうやって生きてる人とは連絡が取りづらくなるけど微細な音を集める手段さえ持っていれば好きにお話しすることができるんです」
「かわいそうな頭蓋骨少女。でもそれは貴方が恋人が死んだ現実を受け入れられないから作った妄想なの。貴方の恋人も天国で貴方を心配していましたよ?」
「馬鹿なことを言わないでください。私の恋人はずっと私とデートをしていたので心配するわけありませんよ」
「頭蓋骨少女、私が貴方を救済しますから。さあ、頭蓋骨を地面に置いてください。私が貴方を天国につれていきます」

その救済という言葉を聞いた瞬間、黒くドロリとしたコールタールのような怒りがわき上がった。


「救済!救済!救済しますからだと!?なんと傲慢な言葉なことか!貴様らは最低の殺人者だ!貴様らは死んでから天国という救済を持ってくる!救済など知らないまま懸命に懸命に生きた人たちの人生を殺す!それもこれからの長い間天国で過ごせるという餌で自分の人生を自分で否定させる!この世で最も恥ずべき最低の殺人行為だ!死にたくないからみんなみんな懸命に生きている!人もミミズだってオケラだってアメンボだって懸命に死ぬまでの間生きた!その人生を天国という救済で台無しにするのが貴様らだ!その最低の殺人行為に救済という名前をつける傲慢さを恥じろ!私はすでに救済されてる!この空っぽの頭蓋骨に救済されている!それを後から出てきて否定するな!私のこれまでの人生を無意味にするつもりか!?私は私の信じる優しい世界に救われている!私の救いはこの頭蓋骨の中にしかない!私の前から消えろこの強姦者ども!全員死んでしまえ!一人残らず地獄の業火に焼かれてしまえ!」


頭蓋骨少女が喋り終える頃には天使達は全員消えてしまっていた。
そして頭蓋骨少女は頭蓋骨を捨てられなかったために天国にはいけなかった。さて、天使は頭蓋骨少女が死に際に見た幻だったのか、それとも頭蓋骨レィディオのほうが幻で天使が本物だったのか、あるいは恋人が死んだところから全部頭蓋骨少女の妄想だったのかも知れない。
それでも頭蓋骨少女は幸せだった。幸せだったのだ!


そして頭蓋骨少女が死んで、チョコレートとジンジャーエールの売り上げは元に戻った。明治とブルボンとコカ・コーラ社とアサヒ飲料の人間はたいそう悲しんだという。 

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(提案手法概観)

 これはあくまで四肢切断ダブルピースをめぐる物語りでありそれ以外の部分は修飾に過ぎない。しかし、自分の中の四肢切断ダブルピース像を模索する内にこの物語りが同時に救済をめぐる物語りになったのは必然なように思えてきた。

四肢切断ダブルピール(背景と目的)

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険 

三、
私は革命家から紹介を受け、私の力になってくれる可能性が高いという男、求道者の住居を目指し歩いていました。革命家と求道者、その二人は友達で、そしてかつては二人とも救済の同志として共に救済を目指した仲だそうです。しかし求道者は救済の手段に革命を選ぶことをよしとせず道を違えたのだそうです。しかし、道を違えた今でも求道者の理想、能力は信頼に値するものであり求道者ならばおそらく四肢切断ダブルピースを発見する力になるだろう、そう革命家は言っていました。
求道者の宿はJR秋葉原駅から歩いて十数分という場所にありながら都会の喧噪は消えてなくなり太陽の光は用途不明の雑居ビルに遮られ薄暗い、そんな場所でした。私はこのような場所が日本にあったのかと驚きました。いたるところにゴミが積み上げられ、それを鴉と鼠が漁り、上を見るとおそらく住民が勝手に引いたと思われる電気や電話の線が蜘蛛の巣かのように張り巡らされ、道のいたるところに酒か薬かあるいは病気か一体どのような原因かはわかりませんがうつろな目をしてぶつぶつと意味不明の言葉を繰り返す自らの吐瀉物にまみれた成人男性が寝ていました。
私は引ったくりやスリ、あるいはもっとおそろしい暴力的な存在に注意を払いながらも十分ほど歩き、求道者が住むという如何にも家賃が安そうなみすぼらしい集合住宅につきました。そこは壁の穴をダンボールとガムテープで補強しているような、取り壊し工事の途中だから中に入ってはいけないという注意書きがないのが不思議なくらいのみずぼらしい建物でした。人が住んでいるとは思えません、しかし革命家の描いてくれたメモは何度見直しても確かにそこを指していました。
私は求道者が住んでいるという部屋のドアを壊さないようにと注意を払いながらノックをしました。しかし、ノックをしてから五秒、十秒、そして二十秒たっても反応が返ってきません。もう一度ノックをしました。すると今度は一秒も立たずにすぐドアが開きました。私はまったくそれを予想していなかったために最初私がノックしたことで扉が壊れ風か何かで人の意志と関係なく開いてしまったのかと思いました。もちろんそんなことはなく――――当然ですが――――部屋の中にいる人間が開けたのです。普通、ノックをして相手が出るまでの間ドアの向こうに何かしらの気配を感じるものです。厚いドアによって遮られているとはいえ人が歩けばわかるものなのです。しかしまったくその気配がなかったためにまさか人間がドアのすぐ近くにいて開けるだなんて私はまったく予想してなかったのです。

「…………誰だ」

三分の一ほど開いたドアから見える半分の顔、羊のような目、それが私を見つめて問いかけます。彼が求道者でしょうか?

「革命家からの紹介でここに来ました」
「……入れ」

その声は病気の人間が最後の力を振り絞りのどから無理矢理に声を絞り出したときのような声でありながら、同時に芯の強さを感じさせる声でした。その声は間違いなく目の前の求道者が出しているのですがおかしなことに私にはまったくそうは感じられず、どこか地底から何か恐ろしいものが出した声が響いてきているのだと、そう感じられるのです。
部屋に入ると精液の独特の臭いが鼻をつきます。求道者の部屋はおかしな部屋でした。生活感が感じられない、とは少し違います。窓はダンボールで塞がれ、布団が敷いてあり、パーソナル・コンピュータが石床に置かれ、アニメのディー・ブイ・ディーやコミック・ブック、裸の女性が表紙に描かれた薄い同人誌が積み上げられ、東京都指定の可燃ゴミの袋が置かれその中にはたくさんの黄色く染まった丸まったティッシュがあり、間違いなくここには人が住んでいるのです。しかし同時に、どのように生きているのかまったく想像ができません。

「何か不思議なものを見るような目をしているな」

声に求道者の方を向き変えると、求道者は値踏みするようなまなざしで私の目をのぞき込んでいました。革命家からの紹介とはいえ私は知らない人間、おそらくどのような人間が探っているのでしょう。普段であればそのぶしつけな態度に腹を立てていたかもしれませんがこちらは協力を求めてやってきた他人という立場、その態度も納得して受け入れるほかありません。

「いえ、どのような生活をしているのか想像ができないな、と」
「…………ほう」

いったい私の発言のどこに感慨を受けたのか、感心したような誉めるような調子で求道者は呟きました。

「僕は最低限の労働をしてその賃金で食事をしてこの部屋に帰ってくる。そして自慰を行い……瞑想をして……眠る……萌える他は最低限のシンプルな生活を行う……それが萌え豚を突き詰めた姿だ」

ぼつりぼちりと求道者は話します。

「あのドン・キホーテが未だ革命ごっこを続けているというのなら…………聞いたことがあるだろう……動物への還元……それが真実の姿だと……」

ドン・キホーテとはスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説のタイトルにして主人公の名前です。ドン・キホーテは騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなり、騎士として世の悪を正すべく旅に出ました。そこからドン・キホーテは理想を追い求めるあまりに、誇大妄想に陥った人間を指す比喩としてもよく使われます。
そして、この場合のあのドンキホーテ、とは間違いなく革命家のことでしょう。それが直感的な解答ですし、理屈で言っても私と求道者の共通の知り合いは革命家しかいないのですから消去法で革命家だという結論が導けます。

「革命ごっことはずいぶんな言い方ですね」

私は友人を馬鹿にされた怒りで反射的に言い返しました。私は革命家が如何に革命のために様々な活動を行っているのか、それを知っています。私はその事実を知っている者の、そして革命家の友人の義務として彼の正義を伝えなければいけないという義憤に駆られていました。
しかし求道者は一切喋るペースを変えることなくぽつりぽつりと話し続けるのです。

「あれに価値があるとすれば必死に頑張るその姿が周囲を萌えさせるという……それだけのことに過ぎない……あれのやろうとしていることは救済などという大層なものではない……有史以来ずっと続けられてきた持つ者と持たざる者の天秤を傾ける行為に過ぎない…………それはそれで素晴らしい行いかもしれないが……革命家のいうような大それた全ての救済などでは断じてない……」

なんという言い草でしょうか。人を救おうと今なお頑張っている革命家に対してこの言い草。仮に彼もまた別の救済を目指していて別の道を選んだ革命家の道を否定しているのならわかるのです。それはお互いの正義と信念の問題でしょう。しかし、求道者はさっき本人が言ったようにここでただ生きているだけなのです。そんな人間が革命家を批判する資格があるでしょうか?
それは安全圏で怠惰に生きている人間が努力している人間を否定する行為です。それは到底許されるものではありません。何故こんな人間のことを革命家は信頼しているのでしょうか、不思議でなりません。

「ならば貴方はここで何をやっているのですか?貴方もかつて救済を志していたのでしょう。しかし貴方はここで自慰をしているだけじゃないですか。そんな貴方が革命家のやっていることを馬鹿にする資格はあるのですか?」
「かつて救済を志していた……その言い方は正しく……また同時に間違っている…………僕は今この瞬間も救済を志している……」

求道者の言葉にはただ事実を語っているという強さがありました。そこに批判されたから説得しようという必死さは欠片にも感じられません。ただ、間違ったことを言われたから正しい言葉を返す、そういう語調です。
この頃には私の頭の中には、もしかしたらこの求道者は頭がおかしくなってしまったのではないか、そんな疑問がわいていました。革命家と求道者、この二人が最後に連絡をとったのがいつかは知りません。ですが、革命家の知らないうちに求道者は狂ってしまい、それを知らずに革命家は求道者を紹介したのではないか。
そうでなければ自慰と瞑想しかしていない人間が救済を口にするなどと言う恥知らずなことがどうしてできましょうか?

「救済、救済ですって?自慰しかしない萌え豚の貴方にいったい誰が救えるというのですか」
「生きるための最低限の労働と自慰と瞑想……そうしたシンプルな生活こそが動物に還元されるということだ……内的世界の変革は究極の目標でありながら……最初の一歩でしかない…………もし思想が政治でも言葉遊びでもましてやアジテーションのための道具でもなく……もっと切実な……生きるための手段だというのなら……ウロボロスの如く最初の一歩と究極の目標を円環状に繋げなくてはいけない……すなわち生活での実践……理論と生活の一体化……」

つまり、思想は語るものではなく生活で実践して始めて意味がある、というそういったことが言いたいのでしょう。そして彼は萌豚こそが人の真実の姿であると、そういう思想を生活で実践しているのです。
しかし、それは救済ではありません。革命家はその観念を炸裂させることで始めてそれは救済となるとそう言っています。そうです、その観念は自分の中にあるだけでは自分しか救えません。某かの手段で人々にその観念を知らしめることで初めてそれは救済の手段となりえるのです。しかし、人は真実を直視する強さを持たないが故にただ言葉を尽くすだけでは人々はその観念を持つことはできません。それ故に知恵を絞ってその観念を炸裂させる手段を考えているのです。その努力を怠り自らのみを救っている求道者に革命家を批判する権利があるとはとうてい思えません。

「貴方がここで萌え豚として生きている理由はわかりました。しかし救済はどこに行ったんですか?革命家は今も戦っているんですよ」
「僕の言う救済と革命家のいう救済は少し違う……革命家は人民のことを真実の太陽を直視できない弱者と言うが僕に言わせればあれこそが真実を直視できない弱者に他ならない…………だからあれは真理をアジテーションの道具とすることしかできない……」

声に明確な悪意と嘲りが混ざります。

「どうやら君はなにか勘違いしているようだ……僕と革命家は確かに救済を目指すという意味では共通しているが……僕らが同志だったことは一度もない……」

それからポツリポツリと求道者は革命家との出会いについて語り始めました。

四、
僕とあれ――――すなわち、革命家はインターネットを通じて出会った。
当時僕はアニメの感想サイトをやっていた。今となっては想像できない環境かもしれないが、当時そういったサイトは本当に少なかった。今は、10分もあればブログなどでアニメの感想を語る空間など作れるが、当時はまだそういう時代ではなかった。
最も今と当時、どちらがいい環境かは僕にはわからない。確かに読む人間も増えたが誰にでも簡単に発信できるという環境は読む人間が増えるペース以上のペースで書く人間を増やしてしまったように思う。もっとも、あの界隈から足を洗ってしまった僕には確かめようのない話だが。
――――そう、不審げな目をするな。ちゃんとこれは革命家との出会いに繋がる話だ。
人間は虚空に向かって話し続けることに耐えられないものだ。人とわかり合えるなどというのは幻想だが、その幻想は生きていく上で必要不可欠なものだ。
毎週アニメを観て、その感想を書きながら、あの時僕はそれを読む人間を渇望していた。そうだろう、誰の耳にも届かない歌になんの意味がある?言葉というのはそれを受け取る人間がいて始めて言葉として成立する。
そうした状況にあって僕らが読む人間を増やすためになにをやったのか、という話だ。まず読む人間は僕と同じくアニメを観ている人間でなくてはいけない、そしてただ観るだけでなく多くを考えそれについて語れる人間が好ましい。さて、ここまで言えば僕が、あるいは僕たちがなにをやったのか推測がつくのではないだろうか。
そう、その条件を満たす人間、それは当時は数が少なかった他のアニメ感想サイトの運営者だ。僕たちは掲示板やコメント、web拍手などの手段を用いてお互いに繋がっていった。そうしてある集団が生まれた。その集団に名前はなかった、ただ“連合”と僕たちの繋がりは呼ばれた。そして掲示板で討論し、お互いの記事に対して意見を言い合い、それを動機に記事を書いていった。
ここまでくれば僕とあれの出会いも推測がつくだろう。革命家もその中にいた。僕たちはお互いにアニメ感想サイトを運営しているという共通項で最初は繋がった。僕と革命家はその中で年齢が近かったこともあるのだろう。僕たちはすぐ意気投合して、その結果として “連合” の中でお互いを特別な一人と位置づけた。
書く人間を読む人間とすることでお互いのモチベーションを作成する “連合” 、はたしてそれはそのまま拡大を続けただろうか。答えはノーだ。どこがを境に逆に僕たちの繋がりは収縮していった。それはあるいは組織というものの必然だったのかもしれない。
僕らは討論し続けた結果として同じ言語でアニメを語るようになっていた。決して全員が同じ意見の持ち主というわけではない。お互いを特別と位置づけた僕と革命家ですらただの一度も同じ意見に達したことはない。だが、同じ言語、同質の切り口、同等の問題意識、そういったものを僕らは確かに共有していた。それが「救済」だ。
僕らはアニメに救済を求めていた。あらゆるアニメを救済という切り口で解体し、議論を行った。人間は救済されるのか、人間は救済されなければいけないのか、救済の手段はあるのか、僕たちは全員「救済」という問題意識で繋がっていた。その結果が “連合” の収縮だ。
僕たちは内部で議論をし過ぎた。気付けば外部の人間にはわからない言葉で喋るようになっていた。そして外部から誰かが議論に参加しても初めて救済という切り口で思考した人間の口にする質問や意見など僕らはとうに議論が終わったものばかりだった。だから僕らは外部の人間と話すことをやめた。一からどういった問題がありどういう議論が行われてきて今どういった点が議論されているのか、そんな説明をしなくてもそれを知っている人間がそこにいるのだ。だったらわざわざ説明をするという手間をかけてまで外部の人間と話す必要はない、僕らは言葉にこそしなかったがおそらく全員がそう思っていた。ただただ内部で議論をし続けた。
そしてあるとき、僕たちはオフ会を、つまり現実世界で出会い議論をしようということになった。当時僕と革命家の共通の知り合いだった人間が東京にやってくるということで決まった話だった。
そして僕らはとある僧院でオフ会をして、救済を求めて共に瞑想を行った。その瞑想で僕と革命家が発見したのが人間の「真理に飛翔できる能力」だ。
僕たちは瞑想を通して世界の真の姿を見たのだ。
それは主観によって歪められる前の真実の世界の姿だ。そこは他者と自分と物体、その全てに線引きがなくどこまでも地続きに続く世界だ。その世界にあっては自分などというものはなく。あらゆるものは意味を失った。
誰もが世界を観測するときに主観というフィルタを通している。我々が目にする世界は常に主観によって歪められている。瞑想、すなわち自分の意識の流れの観察を行ない僕たちは徹底的にその解体を行った。そして僕たちの世界を歪める二つの無意識に行う認識の操作を発見した。
一つはまるで自分というものがあるという錯覚。そしてもう一つが世界を細かく分類する動きだ。そして瞑想の目的はそれらの操作を行う前の世界を認識することにある。
それらの操作を行う前の世界は主観というフィルタを通していないために常に正しく。また、共通の経験だ。あの瞑想の瞬間、確かに僕と革命家は同じ人間だった。
あのあと、僕と革命家が真の世界を見たものとして共に歩めば、あるいは僕たちは革命の同志として共に戦うことになったかもしれない。しかし、そうはならなかった。
僕は “連合” を抜けた。そう、僕は当時大学に入学して、実家を離れてインターネット環境のない寮でしばらく生活しなくてはいけなかった。だから当然、アニメの感想サイトの運営を続けることはできなかった。
話によると僕がサイトを閉鎖してすぐ革命家もサイトの更新をやめてしまったらしい。どうやら大学に入ってからすぐあの革命ごっこに熱を上げたようだ。生活の変化によってやむを得ず、あるいは他にやるべきことを見つけ、サイトが更新されなくなる、そんなことはこの界隈ではよくあることだ。僕らの別れもそういうよくある事態の一つに過ぎない。
それから二年後、僕が大学三年生になると同時にキャンパスは代わり、僕は再びインターネット環境を手に入れた。そして革命家とチャットして、僕はあれに失望した。
あれは真の世界の冷たさに耐えられなかったようだ。確かに同じ真の世界を見たはずなのに、彼女はそれから目を背けるように偽物の救済を追っていた。
それから僕と革命家はたまにSkypeチャットでアニメやライトノベルの感想を語り合ったりする程度で、救済の話をしなくなった。僕たちの道は違えたのだ。


五、
「僕たちは確かにあのとき同じ世界……真の世界を見た……もし真の意味での救済がこの世に存在するのなら……それは革命家のやっているような闘争の中にではなく……あの世界にしか存在しない……」
「真の意味での救済?」
「自分や自分の意志などというものは世界の変化の中で生まれたかりそめの線引きに過ぎない……いずれ太陽は寿命を迎え……人は滅びる……何を為そうと虚無に過ぎないのであれば救済はあり得るのか…………仮に真の世界が善なるものであれば……世界に存在する全て物、行為は善きものということになる…………それこそが未来と過去、全ての童貞の救済だ……全ては救済されるのか……それとも全ては虚無に過ぎないのか……二つに一つしかあり得ない……それを見極めるために僕は瞑想を続けている……」

私はくらくらと目眩のような感覚を覚えました。人に備わった最初から真理に飛翔できる能力、瞑想によって得られるどこまでも続く永遠の世界、そしてその世界での救済。正直な話をしてしまえばどれも信じがたく神秘的すぎます。果たして求道者は正気なのか、そして求道者を頼ることで四肢切断ダブルピースを発見することができるのか、不安が胸の中に広がります。
しかし、四肢切断ダブルピースは矛盾を内包したジャンルです、ならば四肢切断ダブルピースはそういった神秘的で論理的でない天啓のようなものを使わなければ辿り着けないのかもしれません。

「今日は貴方に助けを求めに来たのです。ある問題に対して貴方なら力になれるだろうと」
「知っている。具体的な話は君から聞くように言われたため知らないが……あれからも瞑想を続けている僕ならば助けになれるだろうと……チャットで昨日から今日にかけて聞いた……」

私は四肢切断ダブルピースについてのこれまでの経緯を求道者に話しました。理論と直感が別の答えを出したこと、そして革命家は直感が正しい可能性があると判断したこと、そして求道者であれば力になれると言ったことです。

「なるほど……確かに僕向けの話のようだな……」

その言葉に含まれていた感情の正体は私には判断できません。おそらく喜びだとは思うのですがそれにしては妙に昏く、また羞恥心すら混じっているように感じられました。

「四肢切断ダブルピース……それは君が考えたように両脚を切断し残った両手でダブルピースをさせる、あるいはピースさせた状態で切り落とす、といった誰もが思いつくものから……義手によるダブルピース……四肢切断されて死んだ女性の後ろで幽霊となった女性がダブルピースを行う……念力や電波などいった手段で遠く離れた四肢をダブルピースさせるといった荒唐無稽なものまで……等しい論理的妥当性を持って様々な可能性が考えられる……それらのうちから正しい選択肢を選ぶ手段はあるだろうか?」
「それが真理に飛翔できる能力、ですか?」
「君は少し話の先を読みすぎる傾向があるようだな……優れた直感力によって生きてきた経験故か……」

求道者は軽く笑いを語調に混ぜて呟きます。私の胸中に羞恥心が広がりかけましたが、気にした様子も見せず求道者は次の言葉を発します。

「それは手段の一つに過ぎない……最も一般的な手段は実験を行うことだ……仮説は実験によって事実であると証明される……しかしどうやら僕が革命家に期待されているのは真理への飛翔だろうな……いいだろう……僕も四肢切断ダブルピースには興味がある…………君が四肢切断ダブルピースを再発見できるよう協力しよう」
「しかし、革命家は私が最初から真理に飛翔できる能力によってすでに四肢切断ダブルピースにたどり着いているというのですが、私にはどうしても自分がそんな神秘的な能力を持っているようには思えないのです」
「ならば君が両脚切断ダブルピースを四肢切断ダブルピースでないと感じることをどう説明する?……どうやら君はなにか勘違いしているようだ……真理に飛翔する能力……それはなんら神秘的なものではなく僕たちが普段やっていることに過ぎない……」

元から断続的な喋り方をする求道者ですが、今度の沈黙はなんといおうか迷っているのか若干長めでした。

「例えば君は『赤い』や『丸い』という概念をどう認識している……?」
「どうって……」

私にはこの質問の意図がわかりませんでした。しかし、質問に対して沈黙するわけにはいきません。思った通りに答えます。

「赤いものは赤いし、丸いものは丸いとしか」
「そうだ……それが正解だ……『赤い』は光の波長の区分で定義可能かもしれない……あるいは三原色に分解してアール・ジー・ビーで定義できるだろう……『丸い』は中心の一点と半径によって定義するか?……しかし、そういった定義の手段を認識するのは僕たちが『赤い』や『丸い』を認識できるようになってからだいぶ後になってからのことだ……すなわち僕たちは定義を持たずしていくつかのサンプルを与えられただけで『赤い』や『丸い』の本質に飛翔しているということだ……これが真理に飛翔するということだ…………さて、それを四肢切断ダブルピースという萌え属性に適用するとどういうことになるか……」

確かに私たちは何かを認識するときに理論による定義よりも先に直感による定義を持つものです。それが革命家や求道者のいう真理に飛翔する能力だというのなら確かにそれは神秘的なものではないかもしれません。
しかし、そうなると今度は別の疑問がわきます。果たしてそのようなもので私は四肢切断ダブルピースにたどり着くことはできるのでしょうか?
確かに理論化できない部分で人は何かを認識しているかもしれません。しかしそれはその程度のものであって現に私は未だに四肢切断ダブルピースの真実に到達できていないのです。今以上を目指そうとすべればそのときに頼るべきは理論なのではないでしょうか。それこそが文明人の選ぶ道ではないでしょうか。

「先ほど僕は四肢切断ダブルピースの可能性の一つとして、四肢を切断された女性が念力によって腕を動かしピースさせる、という例を出しただろう……僕も君もそれが四肢切断ダブルピースではないとすでに"知って"いる……しかし何故それには四肢切断ダブルピースの資格がないのだろうか……それは四肢切断ダブル念力ピースが四肢切断ダブルピースの本質がそこから離れているからだ」
「四肢切断ダブルピースの本質?」
「そうだ……僕たちは萌え属性そのものに萌えるわけではない……僕たちがメイドさんに萌えているときそれはメイドさんという属性そのものに萌えているのではない……メイドさんはただの様々な要素の集合つけられたラベルに過ぎない…………僕たちはメイドさんという属性を通して見える上下関係や忠誠などといったメイドさんの本質に萌えているのだ……それらの本質によってメイドさんと女中やお手伝いさんなどは明確に区別される……」
萌え属性の本質……」
「本質を認識してそこに向かって理論で道を作ることが四肢切断ダブルピースへの最短経路となるだろう……でなければそれこそ神秘的ななにかに頼るか……あるいはよほどの幸運に恵まれるかしないかぎりは四肢切断ダブルピースを発見することなんてできない……」
「しかし、四肢切断ダブルピースが何かすらわかっていないのにその本質などと言われても……」

そこまで言って私は気付きました。そう、私たちは『赤い』や『丸い』の概念を定義する前にすでに知っていたのです。そうであるように未だ見えない四肢切断ダブルピースの本質にたどり着けとそういうことなのでしょう。
しかし『赤いもの』や『丸いもの』は間違いなく私たちの周囲に存在するのです。それに対して四肢切断ダブルピースはまったく正体不明の存在。果たしてその本質を発見することなどできるのでしょうか?
私が何を考えているかどうか察したかのように求道者は頷き、ぼそぼそと語り始めました。

「そう……僕たちが『丸い』や『赤い』などを発見するように四肢切断ダブルピースを発見しなくてはいけない…………それはいくつかのサンプルを並列して眺め共通点を括り出す必要がある……しかし、未だ僕らは四肢切断ダブルピースを持っていない……ならばどうするか……しかし、僕たちは明らかに四肢切断ダブル念力ピースが四肢切断ダブルピースでないことは知っている……それはつまり四肢切断ダブルピースとサンプルの距離を直感的に測れるということだ……ならば充分なサンプル数を用意したとき……四肢切断ダブルピースの本質にたどり着くことは可能だ……」
「なるほど、手法はだいたい理解したつもりです。多くのサンプル、すなわち四肢切断ダブルピース候補を用意する。そしてそれらが直感的に四肢切断ダブルピースからどの程度離れているのか判断する。そして四肢切断ダブルピースに近いと思ったものはどういった共通項を持つのか、そして遠いと判断したものはどういった共通項を持つのか、それを判断する。それによって四肢切ダブルピースの特徴を徐々に捉えていく。そういうことですね?」
「その通りだ……なるほど、君は確かに賢く優れた直感力を持っているようだ……」
「しかし、不安なことが二つあります。まず、多くの四肢切断ダブルピース候補とも呼ぶべきサンプルを用意することがその手法の大前提ですがそこまで多くの四肢切断ダブルピース候補を用意することができるのか。もともと物理的に困難だからこその四肢切断ダブルピースをめぐる冒険です。それほど多くの四肢切断ダブルピース予備軍を思いつけるとは思えないということです」
「前者も後者も簡単ではないだろう……まずはサンプル数の問題だが……  先ほど僕がそうしたように四肢切断ダブルピースという単語から連想できるものを可能な限りあげる……しかし君の言う通りそれではおそらく足りない……それらの四肢切断ダブルピース候補を頭の中で少しずつ変更させながら自分の中の四肢切断ダブルピースを比べてその距離を測り続ける……それは己と向き合い続ける果てしない作業になるだろう……だが真理の探究とは太陽を直視するようなものだ……」

「そして二つ目としてその手法は聞くからに高度な思考操作です。はたして私にそれができるのかどうか……正直な話、私には自信がありません」

「僕もまた真理への飛翔、僕たちが無意識にやっている思考上の操作を普遍的で……意識的に行えるものに変えるために……瞑想を続け……無意識の分析と解体を行い続けた……それは決して平坦な道のりではなかった……君に急にやれというのは難しいだろう……しかし僕が用意できる四肢切断ダブルピースへの道はこれしかない……よって君が四肢切断ダブルピースをあくまで求めるのならば……やるしかないだろう」

そう言われてしまえば私の返事は一つです。いったいなにが自分にそこまで四肢切断ダブルピースを求めさせるのか。それはわかりませんが確かに私の胸には四肢切断ダブルピースを求める衝動があります。

「わかりました。やってみましょう」

様々な四肢切断ダブルピース候補を私は思い浮かべます。
まずはずっと理論上それしかないというような両脚を切り落とし残った両手でピースをさせるというもの。これはかなり四肢切断ダブルピース近いでしょう。しかし、私の中の何かがそれは違うと訴えます。
両腕をピースさせた状態で切り落とす。それも確かに四肢切断ダブルピースの名前に相応しいかもしれません。しかし、その程度のものが四肢切断ダブルピースなのでしょうか?そんなものは四肢切断というジャンルの一要素に過ぎません。そのようなものは四肢切断ダブルピースではないとそう感じられるのです。
四肢切断した後に義手でダブルピースさせる。それはまったく違います。そんなものが四肢切断ダブルピースであるはずがありません。
念力や電波などの遠隔操作手段によって遠くにある腕をピースさせる。これは先ほどの義手ダブルピースよりかは四肢切断ダブルピースに近いかもしれませんがこれも違うでしょう。
四肢切断して死んでしまった女性の幽霊がダブルピースをしている。求道者はこれを荒唐無稽と切り捨てましたが、これは意外と四肢切断ダブルピースに近いと、意外にもそんな気がするのです。。
さて、ここから得られる四肢切断ダブルピースの本質とはなんなのか?そこで私の思考はぴたりと止まってしまいました。
求道者は黙っています。私は協力してもらった求道者に報いるためにもなんとかこの方法で四肢切断ダブルピースの本質にたどり着かなければいけません。しかし、そこからどうやっても思考はグルグル回るばかりで先に進みません。
しばらくの沈黙の後、求道者は口を開きました。

「……どうやら付け焼き刃ではそう上手くもいかないと見える」
「はい、私には未だ四肢切断ダブルピースがなんであるのか、それが一向に見えないのです」
「だろうな……ここまでの理屈であればあの革命家だって到達していた……ここまでの助言であれば表現は違えどあの革命家にだってできただろう…………それでも僕に助けを求めたと言うことは……これ以上を望まれているということだ……」

どうやら求道者はこれ以上の助言を私に与えてくれるようです。

「これから僕は僕の四肢切断ダブルピースの真理へと飛翔する…………だが世の中には同じ名前をした別の概念が存在している…………よって僕の君の四肢切断ダブルピースと君の四肢切断ダブルピースとは別のものかもしれない……知るという行為は……不可逆の決して後戻りできない操作だ……故に僕の四肢切断ダブルピースを知るというのは君の四肢切断ダブルピースに至る道の障害になる可能性はある……どうする?決断するのは君だ……」
「私は……」

しかし、彼らのいうところの真理への飛翔。それが私には充分に出来ず袋小路に入ってしまったのは事実です。確かにリスクはあるかもしれません、僕と彼の四肢切断ダブルピースが同じものとは限らないのですから。彼の四肢切断ダブルピースを知ってしまうことで私の印象が固定されて私は私の四肢切断ダブルピースを見失うかもしれません。しかし、四肢切断ダブルピースに対する真理への飛翔がどういう思考操作か認識した経験は、彼とは違う道を選ぶとしても私にとって有意義に働くのでないでしょうか?
そうです、彼の四肢切断ダブルピースが私のそれとは違うものだと、そう感じたとしましょう。しかし、彼がどういう思考操作でその結論に至ったかを知っていればどこで道が分岐したのかわかるのではないでしょうか。

「お願いします。貴方の四肢切断ダブルピースの真理への飛翔を行ってください」
「いいだろう……君はメフィストフェレスと契約したファウストだ……」

求道者は目を瞑り沈黙して、そして数十秒の後口を開きました。

「そうだな……僕の考える四肢切断ダブルピースは四肢切断とダブルピース……両方の本質を持つものだ……二つが組み合わせることでまったく別のものに変質するパターンもあるが……この場合はおそらく違う……何故なら四肢切断とダブルピースは似た本質を持つ相性のいい組み合わせだからだ……」
「相性がいい?四肢切断とダブルピースが?」

そんなはずはありません。それら二つを組み合わせることができないからこそ私は四肢切断ダブルピースをめぐり冒険をしているのです。
しかし、求道者は

「そうだ……精々物理的に困難ということ程度で……この二つは存外似通っている……」

などと一言で片付けてしまうのです。

「そうだな……それを説明するために人間というものを内と外というモデルに分けよう……内側とは意識のことであり自分のことだ……そして外側とは社会などの自分でないものを指す……」

そういうと求道者は紙を取り出して図を描きました。

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「自分とそれ以外という構図に分けたときそれらは独立の存在だが……決して不干渉というわけではない…………内と外を繋ぐ道がある……なんだかわかるか……」
「自分と社会を繋ぐ……道」

確かに自分と社会は別物ですが、関係ないということはありません。自分は社会に影響を与えて、社会は自分に影響を与えます。

「それは例えば声とかでしょうか?声を上げることで私は社会に影響を与えることができます」
「そうだ……それも一つだ……例えば声を上げる……手を動かし文字や図を描く……それらは全て筋肉の運動だ……身体を使うことで意識は社会に影響を与えることができる……それが内側から外側への道だ」

そういって求道者は図に矢印と文字を書き加えました。

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「ここまでくれば外側から内側への道も想像できるだろう……」
「外から自分の意識に影響を及ぼすもの、五感ですね」
「そうだ……五感、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を通して人は外側から影響を受ける……」

そういって再び求道者は矢印と文字を図に書き加えました。

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「もっとも五感というのはアリストテレスにの時代の分類であり……平衡覚や内臓感覚などのそれらに分類されない感覚もあるが……それは本質ではない……人は感覚によって外の世界から影響を受ける……さて、そうしたモデルで人間と社会といったものを認識しよう」
「内側と外側、そしてそれを繋ぐ二つの道」

意識は身体を持って社会に影響を与える。そして社会は五感を通して意識に影響を与えてくる。意識が内側で、社会が外側。

「まずは四肢切断の本質……それは外の世界に影響を与える手段の剥奪だ……四肢を切断された人間はどんな暴行に対しても抵抗することはできない……逃げることすらできない……世界に対して自分の望む影響を与えることができない……すなわち身体を奪うことによる自由の剥奪だ」

そういって求道者は図の身体と書いた部分にバツマークをつけました。

「そしてダブルピースの本質。ダブルピースは笑顔強制とアヘ顔ダブルピースを内包する……笑顔強制……これの本質はいったいなんだろうか……?酷いことをされているのに泣き顔すら許されない……何故酷いことをされているのに笑顔を浮かべるのか……それは笑顔を浮かべなければより酷い未来を与えられるからだ……それは暴力か……あるいは屈辱的な写真を公開されることになるのか……あるいは愛するものに不幸が訪れるという場合も考えらえる……より不幸な未来像による強制……それは外側による自由の剥奪に他ならない……」

次は社会と書いた部分にバツマークをつけました。

「そして最期のアヘ顔ダブルピース……これは一見自由に思えるかもしれない……しかし、もし仮に人が動物と違う文化的な生き物であるとするならば……個人の人格は不可侵でなければいけない……快楽であれ人の思考能力を奪うのであればそれは自由の剥奪と同じである……ならばアヘ顔ダブルピースとは五感ルートを使った自由の剥奪であるとされなければいけない……」

最期に五感と書いた部分にバツマークをつけました。

f:id:semimixer:20111112050332j:image

「おお」

意図せず吐息が八割ほど混じった感嘆の声が喉から漏れます。何故ならばそうしてできたその図は美しく、完全だったからです。私の自分の股間に激しい血液の潮流を覚えました。
自分の中で何かがカチリと当てはまります。それは例えるなら1日中砂漠の中を彷徨ったあとにオアシスを見つけた感覚でしょうか?とにかく私は求めているものが急激に自分の中に与えられていくのを感じたのです。

「よって四肢切断ダブルピースがそれら三つの属性を持っているのであれば……外側……すなわち身体の外側に存在する社会による自由の剥奪……人格を外側に伝えるための器……身体の破損による内側から外側への通路の破壊による自由の剥奪……そして外側から内側に情報を伝える五感……それにより内側の思考能力の自由の剥奪」
「三重の自由の剥奪……」

自分の身体が震えを感じます。

「四肢切断ダブルピースの本質は『完全なる自由の剥奪』……それ以外にはあり得ない…………ならば四肢切断ダブル念力ピースが四肢切断ダブルピースであり得ないのは自明だ……自分の意志でダブルピース出来てしまうのならばそれは『完全なる自由の剥奪』ではない……同様に両脚切断ダブルピースも腕が残っていては四肢切断ダブルピースではあり得ない」
「『完全なる自由の剥奪』」

間違いありません。それこそが四肢切断ダブルピースの本質です。間違いありません。
自分の身体が震えている理由をようやく悟りました。感動です。
嗚呼、『完全なる自由の剥奪』なんと甘美な響きでしょうか。自分の男性器がビクビクと穿袴の中に精を吐き出すのを感じます。

「どうやらその様子を見ると求めているものを与えられたようだな……だが僕に出来るのはここまでだ……『 完全なる自由の剥奪 』それが一体どういう形で現実世界に顕現するのか……それは僕にはわからない……」

そう、まだ四肢切断ダブルピースにたどり着いたわけではありません。四肢切断ダブルピースの本質が『完全なる自由の剥奪』だと発見しただけです。

それが一体どういう形でこの世界で表現されるのか、それを発見するまで四肢切断ダブルピースをめぐる冒険は続きます。

四肢切断ダブルピースを巡る冒険(背景と目的)

testとして過去のダイアリーの記事を移行してみる試み。

 

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険

一、
四肢切断ダブルピースという言葉があります。
いつその言葉が生まれ、そしてその言葉は一体どのようなものを指すのか、それは私にはわかりません。ですがいつのまにかその言葉は少しずつ私の日々の生活の中で目につくようになっていきました。例えばそれはイラストに特化したソーシャル・ ネットワーキング・サービスの中であり、大型匿名掲示板の中であり、あるいはコミュニケーション・サービスの中で目にします。
しかしそれが一体どういうものかというとそれがとんとわからない。そういったものが存在すると語る人は目についても四肢切断ダブルピースを目にしたことがあるという人は一人もいません。
しかしこの言葉は妙に私を惹きつけるものがある。私はいつのまにか四肢切断ダブルピースの正体を追い求めるようになっていました。
さて、では一体どのようなものか考えてみましょう。まず四肢切断ダブルピースは四肢切断とダブルピースの異なる二つの要素の組み合わせであることが当然の帰結として推測できます。当然ではないかって?そう、当然です。しかし理論というものは分解してしまえば一つ一つの繋がりは明快で当然なものなのです。そうした明快で当然なものを組み合わせている内に意外な結論を導くのが美しい理論というものでありましょう。
私のような人間には四肢切断とダブルピース、その二つの単語だけでニュアンスが伝わるわけですが、おそらく私の所属する文化圏は小さく、伝わらない人の方が多いでしょう。それを思えばこれら二つの単語を取りまく環境を説明せねばいけないでしょう。
四肢切断、いったいこれを読んでいる貴方はこの単語からどのようなニュアンスを感じ取るでしょうか?四肢、すなわち手足の切断。事故?拷問?処刑?いえいえ、ここでいう四肢切断とはそういったニュアンスのものではありません。あえていうなら拷問が近いかもしれませんが決して四肢切断を通してなにか情報を引き出したいとかそういうことではないのです。
ここで語られる四肢切断とは性的嗜好としての四肢切断です。すなわち四肢、手足を切断された女の子に興奮するタイプの人たちによって口にされる四肢切断という単語がここでいう四肢切断なのです。
四肢切断は腕ならば二の腕、足ならば太ももの中程から切られていることが多く、手足の全てを切断しない場合もあります。全て切断されている場合は達磨とも呼ばれます。
さて、いったい四肢切断のどこが人を惹きつけるのでしょうか?
四肢切断の魅力は多岐にわたります。例えば女性が不幸な目にあっているだけで興奮する人もいます。もしかしたら純粋に四肢が欠損した見た目が好きな人もいるかもしれません。しかし私はその両者とは違います。私は逃げられない、抵抗できないというところに魅力を感じるのです。何をやっても向こうは抵抗することができず逃げられず例えば服を剥いてしまったら向こうはどれほどの羞恥を覚えたとしても身体を隠すことはできない。もっとも四肢を切断された状態で羞恥心など感じる余裕があるかは疑問ですが。さて、そのような悲惨な目にあった女の子は泣いて騒ぐのか、気丈に睨み付けてくるのか、あるいはもう絶望しきってなんの反応もしないのか、そういった想像をするだけで股間に激しい潮流を覚えるのです。
そしてダブルピース。普通に解釈をするのならば両手で人差し指と中指をたて、他の指をたたみピースサインをする、そのように解釈なさるものと思います。ですがさきほどの四肢切断に四肢を切断する以上のニュアンスがこめられていたように私どもの文化圏ではダブルピースにも両手でピースサインをするという以上のニュアンスがあるのです。
さて、この百年戦争アジャンクールの戦いで最初に使用されたと言われているピースサイン。このピースサインという奴は中々に色々な意味をもつもので平和を祈るサイン、勝利を意味するVictoryのVを示す勝利のためのサイン、あるいは「くたばれ」を意味する場合もあるそうです。しかし日本ではそういった意味合いは薄く、主に写真やカメラを向けられたときにピースサインを行うことが多いようです。
そう、カメラ。つまり日本においてはピースサインのイメージは撮影行為と繋がっているのです。それも証明写真などといった公式なものではなくもっと楽しい雰囲気の撮影行為と。しかし、私の所属している文化圏ではこのダブルピースという奴は真逆のニュアンスを持ちます。酷い目にあっている女の人が――――この場合の酷い目とは往々にして性的なニュアンスで酷い目にあっている女性という意味なのですが――――ダブルピース行っている光景を指すことが多いのです。それも多くの場合は撮影行為とセットで。
さて、何故酷い目にあっているのにダブルピースするのか、主流な理由は二つに分けることができます。
一つはダブルピースするよう命じられたからです。酷い目にあっているということは酷い目にあわせている人間がいるということでその人が命令したからこそ彼女はダブルピースしているのです。屈辱的な目にあっているにもかかわらず両手でピースサインをすることを命令される、いや、もしかしたら笑顔を浮かべることも強制されているかもしれない。そういった悲惨さ、そして圧倒的な優越感、そうしたものに私は性的な興奮を覚えるのです。
そしてもう一つの理由は自分が悲惨な目にあっていることが理解出来ない状況、むしろ幸福すら覚えているからこそダブルピースをしている状況です。これは例えば麻薬漬けにされている状況などを例えに出すとわかりやすいでしょうか。外から見れば麻薬漬けにされるのはとてもとても悲惨な状況かもしれませんが、本人にとってはとても幸せな状況です。この分野は一般に「アヘ顔ダブルピース」と呼ばれるものが有名でしょう。アヘ顔、つまり快楽に流され自我を失い目の焦点が合っておらず舌が垂れているような顔を晒しながらダブルピースしている状態を指す言葉です。
さて、話は四肢切断ダブルピースの話に戻ります。四肢切断ダブルピース、冷静に考えれば両足を切り落とし逃げられなくしたところで残った両手でダブルピースをさせる、おそらくはそういう状況を指す言葉なのでしょう。それが物理的に無理のない唯一の解答です。ですからおそらくこれが正解なのです。
しかし、理性はそう主張するのですが私の感情はそう簡単には納得してくれません。それではただのダブルピースの部分集合、細分化の結果生まれた言葉に過ぎません。はっきり言ってしまえば両脚を切り落としてダブルピースさせるくらいなにも新しくはないのです。それをわざわざ四肢切断ダブルピースと呼ぶからには右腕左腕右脚左脚、その全てを切り落としてダブルピースしているはずではないでしょうか?それは確かに物理的に不可能かもしれません。しかしだからこそ四肢切断ダブルピースは私を惹きつけるのです。


二、
私は友人の革命家のところに四肢切断ダブルピースについて相談にいくことにしました。理論の言う通り四肢切断ダブルピースとは両足を切断してダブルピースさせるだけの行為に過ぎないのか。それとも直観の告げる通りそれとは違うもっと異質なものなのか。そして仮にそうだとしたら四肢切断ダブルピースとはなんなのか。それをどうしても突き止めたかったのです。
革命家はアニメイトの横の階段を下りたところにある潰れた地下劇場を買い取りそこに住んでいます。そこで毎日来るべき革命の日のための準備を行っています。
階段を下り、扉を開けるとほこりと動物の体臭のような臭いが混ざったむわっとした臭いが鼻をつきました。そして照明が壊れているのか、今はたまたまつけていないのか、それともいつもつけていないのか、それは私にはわかりませんが廊下は真っ暗で何も見えません。今は扉を開いているからかろうじて廊下がしばらく続いていることが確認できますが中に入ってドアを閉めてしまえばもう何も見えないでしょう。そして細かい内容は聞き取れませんが奥の方から何か喋るような声がします。
声が進む方向に進めば人がいる場所にたどり着けるはずです。私は意を決して中に入りました。ドアを閉めると何も見えません。ですが、ゆっくりと慎重に転ばないように壁に手をついて進めばなんとか進むことはできます。そして私は声のするほうに進み始めました。
そうして徐々に声が聞き取れるようになり、暗闇に目が慣れて廊下の輪郭くらいはわかるようになってきた頃、ようやく人の姿を発見しました。いえ、人といいましたが会ったそれが人かどうかはわかりません。動物の体臭のような臭いを発しておりフゴフゴと鼻を鳴らしています。見た目は黒い外套を羽織っていること以外はこの暗闇ではわかりません。顔が見えれば人間かどうか判断ついたのかもしれませんが今の私にはそれが人間らしいシルエットを持っていること以外は何一つ断言できないのです。それは廊下を私と同じように壁に手をつけて歩いていました。

「私は革命家の友達なのですが、革命家を捜しています。いったいどこに行けば会えるでしょうか」

暗闇の中その人だかなんだかわからないものはゆっくりと廊下の先を指しました。おそらくはこのまま進めば会えるということでしょう。私は闇の中で果たして見えたかどうかはわかりませんが軽くお礼の会釈してそれとすれ違うように先に進みます。
そうしてそれ指し示した方向に進むと大きいドアがありました。声が漏れてくるところを見ると私が道案内代わりに使っていた声はこの中から響いていたようです。私はゆっくりと中で喋っている人の邪魔をしないように静かにドアを開けました。
するとむわっと動物の体臭のような臭いが溢れてきて、また先ほどあった人間らしきものが出していたフゴフゴという鼻息がこんどは十も二十も聞こえます。そこは地下劇場であり、黒い外套をかぶった生き物がまばらに観客席に座っています。
そんな中、聞き覚えのある声、すなわち私の友人である革命家の声が響きます。革命家は劇場の舞台に立っていました。

「我々は革命によって全ての童貞を救済しなくてはいけない!それこそが我ら革命組織の究極の目標である」

その声に賛同するかのようにフゴフゴという声が一斉に響きます。

「童貞を苦しめているものはなんでしょうか?それは性行為が神聖で高尚であるという欺瞞です。では何故そんな欺瞞があるのでしょうか?」

私は今すぐにでも革命家に声をかけ四肢切断ダブルピースについて相談したかったのですが演説の邪魔をしてはならないと、劇場の席に座ることにしました。近くの黒い外套をかぶった生物に軽く会釈をして席につきます。
そうしている間にも革命家は黒い外套たちに向かって語りかけます。

「それは人が弱いからです。人が弱いがために真実の太陽を直視できず欺瞞を必要とするのです。彼らは自分が動物ではないという幻想が欲しいのです。しかし繁殖と労働という二つの生物的な義務が人は所詮動物であるという現実を見せ続けます。それを見ないために労働と繁殖を人は神聖視せずにはいられない。この欺瞞こそが童貞を苦しめる元凶です」

フゴフゴと隣に座っている外套が鼻をならします。初めは賛同を表しているのかと思いましたが、少しそうではないのではないかと思い始めました。彼らはただ興奮して鼻を鳴らしているように見えるのです。

「そうです、童貞を苦しめている性行為の神聖さという欺瞞。それらは全人類を救済するためにあったのです。しかし、欺瞞の上に築いた砂上の救済は欺瞞に過ぎないが故に必然的に多くの人を苦しめます。矛盾した神の信仰は世界に軋みをもたらします。私たちは動物に還元されるべきなのです。私たちは特権的な生き物であることを辞めて動物に戻るべきなのです!」

革命家が声を張り上げると興奮したような鼻を鳴らす声が周囲を満たします。この頃には私の彼らは本当は革命家の話など聞いていないという疑惑は確信に変わっていました。では何が彼らをこうも興奮させているのでしょうか。

「貴方方も一度くらい嫁宣言、すなわち綾波レイが好きであれば"綾波レイは俺の嫁"、ホシノルリが好きであれば"ホシノルリは俺の嫁"などと掲示板に書いたことがあるでしょう」

綾波レイは1995年10月から1996年3月の間に放送されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に、ホシノルリとは1996年10月から1997年3月の間に放送されたアニメ『機動戦艦ナデシコ』にそれぞれ出てくる女性キャラクターです。私も幾度となく掲示板に「ホシノルリは俺の嫁」と書き込みました。もちろんアニメのキャラクターですから実際に結婚しているわけではありません。俺の嫁というのは自分がそのキャラクターが好きだということ、それを示すための常套句です。

「しかし、嫁というのは共同体から関係を認めてもらい、さらに独占しようという考えからくるものです。しかし、一夫一妻制などというものは人間を非動物たらしめようという欺瞞に過ぎません。婚約などというシステムも同様に欺瞞です。そうした価値観に縛られている限り童貞に救済はあり得ません。我々は真実を見なければいけません」

ここでふと変な考えが私の頭をよぎりました。外套たちはひょっとしたら一生懸命に人前で演説をする革命家に萌えに来ているだけなのではないかと。実のところ内容などはどうでもよく革命家が可愛い声で頑張って声を張り上げれば彼らは満足なのではないかと。

「そうした欺瞞に気付いたのかあるいは実際に綾波レイと婚約関係を結び独占することはできないという現実に気付いたのか。最近では俺の嫁に変わる新たなる言葉が生まれ始めています。それがペロペロです」
「おお、ペロペロ!あずにゃんペロペロ(^ω^)!!」

私は無意識につぶやいていました。
ペロペロもまた俺の嫁のようにそのキャラクターに対する好意を示す常套句です。

「なるほど、可愛いから舐める。非常にわかりやすく動物的です。ペロペロは俺の嫁に比べ真実に漸近したと言えるでしょう。ですが、我ら革命組織はより真実に近い表現を創り出すことに成功しました。それがブヒイイイイです」

ブヒイイイイ!!
ブヒイイイイイイイ!!
ブヒイイ!!
ブヒィ!
口々に外套たちが叫び出しました。その耳を劈くような歓声に私は耳をふさがなければいけませんでした。

「私たちは欺瞞を捨て特権的な生き物であることを放棄しただの動物、萌え豚に回帰するのです。与えられた性的な餌に脊髄反射で食いつく、家畜として他のあらゆる価値観から救済されるのです。しかし、それでは私たちは自分を救済しただけに過ぎません。私たちはこの価値観を、この観念を、炸裂させなければいけません。あらゆる欺瞞を照らす光と買えて、またあらゆる価値観を破壊する爆弾としなければいけません。それこそが我らの目指す革命です。我々は今も苦しみ続けている全ての同志を救うべくこの革命を成功させなければいけないのです!」

外套たちの声はいよいよ音量を増し、何十にも重なったそれらはもはや人の声でなく空気の振動としか認識することができません。
革命家の演説は終わったのか地下劇場の幕が下りていきます。それと同時に灯りがつき始め少しずつ部屋が明るくなっていきました。私はすぐにでも革命家の元にいき四肢切断ダブルピースについての相談をしたかったのですが、外套の中身が人間なのかそれとももっと違うなにかなのか気になったので彼らの素顔を拝んでやろうともう少しだけ客席に座っていることにしました。
外套たちは完全に幕が下りるまでブヒブヒと叫んだ後、完全に幕が下りたのを確認すると立ち上がって雑談をかわしながら劇場を出て行きました。顔は完全に人間のそれで、鼻を鳴らすこともなく雑談の内容もごく一般的なそれです。それは無条件安定陽解法のバネ質点モデルへの応用の話であり、一匹の象を巡る人間関係の話であり、あるいはまたたび相場の話でした。それらの会話は彼らが人間として社会の中で生きているということを示すものであり、彼らは見た目だけでなく内実共に人間であるということです。
彼らの正体を確認して満足した私は劇場の舞台にかけより、幕を開きました。

「おや、貴方は。どうぞ上がってきてください」

革命家は私の顔を見るなりいやな顔一つせずに幕の下りた舞台に招いてくれました。舞台に上がった私を革命家は舞台袖に誘導してそこにあったテーブルの椅子を引き、私に座るように示したました。そして私が座ったのを確認すると対面に座りました。

「さて、貴方がどうしてここに?ついに私たちの革命に参加することを決意したのですか?」
「いえ、違うのです。今日は貴方に相談があって来たのです」
「相談?」

私は私の四肢切断ダブルピースについて考えていることを革命家に説明しました。
革命家は私の言葉を聞きしばらくあごに手を当てて考えた後、ようやく口を開きました。

「確かに一般的に考えれば四肢切断ダブルピースとは両脚を切り落として残った手でダブルピースさせるものでしょう。しかし、貴方はそれではないと思うのですね?」
「はい、どうしても私にはそれが四肢切断ダブルピースの正体だとは思えないのです。私がその言葉から受ける印象はもっと深く、新しいものなのです。しかし――――」
「しかし、理論で考えれば両腕を切り落としてしまってはダブルピースはできない。それはわかっているのですね?」
「はい」
「ふむ」

革命家は再び考え込みます。
その頃には私の胸は後悔でいっぱいになっていました。何故私はこのような相談を革命家に持ちかけてしまったのでしょうか。こんな質問誰に聞いても私の直感が間違っていると答えるに決まっています。ああ、恥ずかしい、今すぐこの場を立ち去ってしまいたい。
しかし、革命家は私の予想とは違う言葉を口にしたのです。

「貴方が四肢切断ダブルピースがただの両脚切り落としダブルピースではなく、達磨ダブルピースだというのなら、そうなのかもしれませんね」
「しかし、理屈で考えれば――――」
「ノン」

反射的に口をついてでた自分の意見に対して同意する発言に対する反論にも気を悪くした様子がなく、優雅すら覚える態度で革命家は私の言葉を止めました。

「いいですか、近代科学信仰が生み出した観察と推論と実験、それだけが唯一の真実に至る道であるという考え方は欺瞞に過ぎません。人には最初から真理に飛翔できる能力が備わっているのです。私には見えませんが貴方が四肢切断ダブルピースに何か別のものを観たというのなら、それは容易く否定されるべきではないと考えます」
「最初から真理に飛翔できる能力……そのようなものは非論理的に思えます」
「その通り、非論理的です。しかし、論理だけが唯一の真実にいたる道筋ではないことはさっき言った通りです。いいですか?科学上でなんらかの画紀元的な進展を与えた新しい観念のほぼ全ては推論から導かれたものではなく最初から知っていたものなのです。アインシュタインは17歳のときはすでに相対性理論を知っていました、ただ理論化に時間がかかっただけなのです。考えてもご覧なさい、相対性原理、素粒子力学、波動力学、こういった概念を推測や解析だけでどうして組み上げられるでしょうか?彼らはすでに見えているゴール地点に向かって理論を積み上げていったのです」
「なるほど、つまりその人が持つ最初から真理に飛翔する能力によって私は四肢切断ダブルピースの真実にすでに到達していると、貴方はそう考えているのですね?」
「その通りです。お待ちになって、貴方のいいたいことはわかります、それは単なる思い込みではないかと貴方はそう仰いたいのですよね?わかります。ですから貴方は四肢切断ダブルピースを再発見しなくてはいけません」
「四肢切断ダブルピースの再発見……」

オウム返しに革命家の言葉を繰り返しました。
その響きのなんと嘆美であることか。私の男性器はその言葉だけでむくむくと膨張を始めています。

「そう、四肢切断ダブルピースを巡る冒険です」
「しかし、一体何をすればいいのか……」
「己の発見した真実と向き合うか、あるいは観察と推論と実験によって真実までの道を作るか、でしょうね。真実に至る唯一の道ではないにしろ観察と推論と実験が真実に至る一つの道であることは確かですから。しかし、貴方にはそのどちらも難しいかもしれませんね」

革命家の言う通り私にはそのどちらもできるとは思えませんでした。一体第一歩目に何をすればいいのか、それすらまるで皆目見当もつかないのです。

「私の知り合いの求道者を紹介しましょう。彼であれば貴方の力になってくれるでしょう」
「そこまで手を貸して頂き申し訳ありません。いったいなんとお礼を言えばいいのか……」
「ノン、かまいません。四肢の完全切断による達磨ダブルピース、もしそのような概念があるのだとすればそれは来るべき精神の革命闘争のときに役に立つかもしれませんから。これは私のためでもあるのです」
「精神の革命?」
「その通り。四肢切断ダブルピース、それが既存のシステムを超越する何かであれば概念の爆弾となります。炸裂したそれは全ての欺瞞を照らし私たちの闘争を勝利に導くでしょう」

  こうして私の四肢切断ダブルピースを巡る冒険は始まったのです。