四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(提案手法)

もう、続きが書かれないと思いましたか?私はそうは思いませんでした。
もう、これが終わることがないと思ってます?私はそう思ってます。

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(背景と目的)

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(提案手法概観)

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(関連研究)

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険

九、
「分かりません、貴方はいったいなんなのですか?一体なんの権利があって私に四肢切断ダブルピースを追うのを止めろというのですか?」
「私は世界を良き方向に導こうという意志によって動くもの、そういう観念だ。私は人類の歴史の至る所にいたし、これからも現れ続けるだろう。求道者は言ったな、大いなる観念は魂を研ぎ澄ませて受け入れるしかないと」


大いなる観念に掴まれる瞬間だ……人は言葉によって思考して、言葉によって世界を分解して認識する……しかし、気付きは言葉に先行する……気付くのが先でその後に言葉にするのだ…………だが、新しい観念はそう簡単には既存の言葉によって説明されない……その新しい観念は言葉にされないが故にただの“感覚”であり……一瞬で消えてしまい……多くの場合自分がその観念を得たことすら気付かない……だからこそ瞑想によって魂を純化させ……言葉で思考するのをやめて……その一瞬で消え去ってしまう大いなる観念に掴まれる瞬間を待たなければいけない

「私は大いなる観念に掴まれた状態だ。世界を善き方向に導く観念に掴まれ、その感覚を忘却するまでの間発生する人格、ってところかしら」

彼女が何故、求道者がそう言っていたことを知っているかはわかりません。いえ、彼女と求道者は“連合”で議論を繰り広げた仲なのですから求道者がそういう意見の持ち主だと知っているのはおかしくないのです。疑問は何故、彼がそれを私に語ったことを知っているのか、です。
それが彼女のいうところの自己相似を発見する世界認識で、世界の声が聞えるということなのでしょうか。それだけが彼女の狂気めいた物言いに説得力を与えます。

「過去の自分と今の自分、それが地続きだと幻想は記憶から生まれる。しかし、私たちは過去の自分がなにを考えていたか徐々に分からなくなっていく。感情や言語にされない感覚は摩耗していく。しかし言語は全てを伝えるには何もかもが抜け落ちすぎる。理解出来ない過去の自分と今の自分、それを連続なものとして扱っていいのか。果たして私はかつて“連合”で議論を繰り広げた†紫龍†なのか」

確かに過去の自分が何を考えていたのか、それがわからなくなることはあります。しかし、だからといって過去の自分が他人であるなどと言ってしまうのはとてもおそろしいことのように思えました。
過去の自分が他人であるのなら、未来の自分も同様に他人であり、つまり未来のために今我慢するというのが間違っているということになります。そうなってしまえば人は努力する意味がなくなり、今この瞬間だけを生きる刹那的な生き物になってしまいます。
それでは社会は機能しません。生物としても失敗するでしょう。だから、人が地続きだという幻想を持ち続けるように出来ているのです、おそらく。

「記憶には符号化、貯蔵、検索の三つステップがある。すなわち符号化で出来事を記憶に取りこめる形式に変え、貯蔵でそれを保持し続けて、検索でその保持した記憶を引き出す。それを正常に行える人間を連続した同一の人間とするのならば今の私は†紫龍†と連続でないため別人ということになるだろう。私が表に出ている間に符号化された情報は、私が表に出ていないときは検索することが出来ない。と、いうか検索しても理解することができないんだ。観念に掴まれている間の私はあまりに考え方が異質で、そうでないときの私にはそれを理解出来ないんだ」

つまり、知らない言語で書かれた日記を読んでもなにが起こったのかわからない、そういうことなのでしょう。彼女の頭の中には確かにこの瞬間の記憶はあるのです、しかしそれは“観念に掴まれている”彼女にしか理解出来ない記憶なのだと、そういうことなのでしょう。

その新しい観念は言葉にされないが故にただの“感覚”であり……一瞬で消えてしまい……多くの場合自分がその観念を得たことすら気付かない……だからこそ瞑想によって魂を純化させ……言葉で思考するのをやめて……その一瞬で消え去ってしまう大いなる観念に掴まれる瞬間を待たなければいけない

観念は消えてしまう。そして再びその観念に掴まれるその日まで思い出せない記憶を忘却する瞬間まで紡ぐ。それは確かに別の人格があると考えられるかもしれません。経験を共有できない、別の考え方をする人間なのですから。

「瞑想によって得られる他者と自分と物体の線引きがなくどこまでも地続きに続く世界、そこに身を起き続けるとあらゆる概念は相互に依存し合って存在しているということがわかる。『赤い』は『赤くない』に依存して存在しているし、『丸い』は丸くないものに依存している。『丸くない』がなくなったとき『丸い』もまたなくなってしまう。この世に関係しあってないものなどない。つまりこの世界全てが一つの運命共同体だということだ。この観念に掴まれたとき『自分の為』と『他人の為』と『世界の為』が同じものになる。世界を悪き方向に導くものの存在を察したとき、私はこの観念を思い出す。そして『自分の為』、『他人の為』、『世界の為』それを廃除する」
「それが四肢切断ダブルピースなのですか?」
「そうだ。それは世界を善くない方向に導く。それにおそらく貴方自身も破滅させる。説明するのは困難だけど、世界の声がそう囁くのよ」
四肢切断ダブルピースは確かに恐ろしい存在かもしれません。それは『完全なる自由の剥奪』なのですから。しかし、私にはそれが必要なのです。それをまだ私は発見していませんがそれは間違いなく私を性的に興奮させ、私に強い満足を与えてくれるのです。それを求めることはそんなに悪いことなのでしょうか?」

私の質問に彼女は数秒したの後――――関係ないように思えることを口にしました。

「こんな話知ってる?ミロのヴィーナスは腕がないからこそ評価された、って話」

ミロのヴィーナスは言わずと知れた古代ギリシアの女性像です。オスマン帝国統治下のエーゲ海のミロス島で発見され、その後トルコからフランスに所有権が移り、たった一度東京に来た以外はルーヴル美術館で管理され続けています。
その彫刻は両腕が欠けています。その欠けた両腕がどうなっているのか、林檎を持っていた、最初からなかったなどの様々な説が出ていますが未だ定説と呼ばれるものはありません。

「欠損があれば人はそこに想像力を働かせてしまう。想像の中の腕だからこそ、それは完全な存在たり得る。この世に存在するものは完全にはなれない。あるいは完全なものがあってしまったとすると、それ以上よくなることはなく、この世に不変のものは存在しないためそこから完全でなくなっていく一方であり結局のところ完全なものは存在できないということになる。欠損の中にしか完全は存在しない。欠損は完全な全体像の幻想ということになる」

欠落してるからこそ完全な姿を脳内で補完する、その話を聞いて私は昔聞いたことを思い出しました。何故大量に線が重なっているラフなスケッチが上手く見えるかというと、その中から最もいい線を選んで認識しているからだそうです。この話は大量の情報の中から最適なものを選ぶという話なので、欠落から美しい全体像を見いだすという話とは違うかもしれませんがなにか近いものを感じます。
四肢切断ダブルピースは、四肢切断という欠損の中にダブルピースを封じ込めた。ならば四肢切断ダブルピースは完全なダブルピースであるはずだ。しかし、完全が幻想である以上、誰もが共有する完全なダブルピースは存在せず、そこに見いだす完全なダブルピース像は人によって異なる。貴方はそこに『完全なる自由の剥奪』を見いだしてしまった。おそらくはそこに貴方が世界を悪しき方向に」
「いえ、四肢切断ダブルピースの『完全なる自由の剥奪』という本質を直観したのは求道者です」

四肢切断ダブルピースの本質が『完全なる自由の剥奪』であるというのは私も賛同はしますが、発見したのはあくまでも求道者です。人の功績を自分のものにしようと思うほど浅ましくありません。

「いいえ、貴方が見いだしたの。求道者はそれに影響されただけ。貴方は自覚していないでしょうけどね。それが貴方のやっかいなところなの、貴方は人を導く能力を持っている。貴方だけが破滅するだけなら貴方の好きさせてもよかったんだけど、人を導く人間が破滅する方向性に進んでいるというのであればちょっと見過ごせないわね」
「しかし、私が悪い方向に進み破滅するのが自由なように、私に影響された人間がその人の自由意志で破滅するのもまた自由。貴方に強制される自由はないのではないでしょうか?」

私は彼女の言葉を聞いて軽い苛つきを覚えました。彼女は『私の為』と『世界の為』が同じものとなった人間なのですから、自由や美徳といった個人の言葉で語られる正義とは相容れないのはしかたないのかもしれません。彼女の認識では、彼女が私になにかを強制することで多くの人間が幸せになり、そしてそれが彼女にとっての正義なのでしょう。そんな彼女に『自由』という正義を説いてもしかたないことかもしれません。
あくまで個人としての『自分』でしか語れない私と、拡張されて世界と一体化した『自分』で語る彼女とでは理解し合えないのはしかたないでしょう。そういう意味では断絶を認めて、彼女と分かり合うことを諦めてその上でお互いの妥協点を探るのが正解なのでしょう。
しかし、私はどうしても彼女を言い負かしたいと、そう思うのです。彼女の意見は何故か酷く私を苛つかせて、どうしても否定せずにはいられないのです。

「予言しましょう。四肢切断ダブルピースを追い続けるのなら、いずれ貴方の、あるいは君たちの言葉は誰にも届かなくなる。誰にも理解できない言葉しか喋れなくなり、誰とも理解しあえなくなる。そして孤独の中で破滅していく。そして貴方の言葉を理解できる人間が現われて、君たちの言葉に耳を傾けるのなら、その人も破滅するしかない。貴方の言葉は、四肢切断ダブルピースは人を破滅させる概念として存在し続けることになる。それが貴方の望み?」
「それは悪いことでしょうか?確かに、四肢切断ダブルピース嗜好を好むのは少数派で、そういった人たちが集まり話せばいずれ誰にも理解されない言葉を使うようになっていくでしょう」

それは救済という言葉で語り続けた“連合”が外部から理解されなくなっていたように。

「あるいはその結果として破滅するかもしれません。四肢切断ダブルピースがなんであるかはまだ発見していませんが、それが社会に広く受け入れられて喜ばせるようなものでないことはなんとなくわかります。欠損の中のダブルピース、すなわち完全なダブルピースに前向きなものではなく、『完全なる自由の剥奪』を見いだしてしまう私は好ましくない存在なのかもしれません」

喋っているうちにどんどん熱くなっていく自分に気付きます。

「しかし、理解されないから、好ましくないから、少数派だから、間違っているから、健全じゃないから、だから止めろと言うのですか?四肢切断ダブルピースに興味を持つのは駄目で、ならばスポーツをするべきだというのですか?声優やアニメやアイドルを追求するのは駄目で、語学や資格取得や家庭菜園ならいいんですか?」
「熱くなるな、そういう話ではない。私のいう破滅とは少数派だから社会からの圧力がかかるなどといった話ではない。私にはわかるのよ、決定的な矛盾を抱えているが故にその先には未来がないことが。理論的に導かれた結論じゃないから人にわかるように説明はできないけどね。そうね――――この蜘蛛の森には蜘蛛がほとんどいないって知ってる?」
「蜘蛛の森なのにですか?」
「ここはかつて火山地帯で草一つ生えない不毛の大地だった。そこに蜘蛛がこの森を作った。蜘蛛はバルーニングという移動手段を持つ。これは糸を出し上昇気流に乗りタンポポの種子のように移動するというものだ。これよって蜘蛛は非常に広い範囲に分布しており、海の上で蜘蛛の糸が発見されたという報告もある。蜘蛛は生物がいない区域に最初に到達する可能性が非常に大きい生物だ。そうしてこの地にたどり着いた蜘蛛の死骸が積み重なって、栄養となり、そしてこの森が生まれた。しかし、実際に森が生まれた後、蜘蛛はこの森で繁栄できなかった。蜘蛛は生存競争に負けてこの森からいなくなってしまった。この森は何匹もの失敗していった蜘蛛たちの死骸の上に成立しているんだ。たまたまこの森は森として成立しただけで、多くの場所で不毛の大地にたどり着いた蜘蛛が死んでいったし、これからも死んでいくのだろう。君のいうところの少数派の破滅とはそういうことだろう、自分一人しかいない場所では誰も生きていけないものだ」

私はこの大地で死んでいった蜘蛛のことを考え、すごく悲しい気持ちになりました。彼らはどんな思いで空を飛び、この地にたどり着き、死に絶え、そして森が出来たあと生存競争に負けていったのでしょうか。

「新しい試みというものはね、だいたい失敗するものなのよ。あるいは新しいことをやって成功したように見えたとしても、過去に似たようなことをしたり、同じような着想を持ったりしたが失敗しているものがいるものなのなの。成功というのはだいたい過去の挑戦者の死骸の上に成り立つもの。それは個人として見ればあるいは意味のない破滅だったのかもしれない。しかし、全体として見るならそれらの死骸一つ一つに意味がある。そうして挑戦して失敗した数だけ選択肢があり多様性があり、私たちはそちらに進むことができる。今は続くものがいない失敗でもやがて続くものがいるかもしれない。でもね、やっぱり海に向かって飛んでいく蜘蛛がいてもそこに森はできないの」
四肢切断ダブルピースは海だというのですか?その先になにもないと、例え誰が続いても破滅しかないと、そういうのですか?」
「ねえ?子供の頃、蜘蛛――――はちょっと足が多すぎるか、そうね、コオロギの足をもいだりしなかった?なんで子供の頃はあんなに昆虫に対して酷いことができるのかしら?もっとも女の子の四肢を切断しようという貴方にこれをいうのも変な話だけど」

私の質問に答えず、彼女は話題を変えました。
先ほどからから核心に触れずコロコロと移動し続けます。しかし、移動するたびに私の反論がなくなっていくような、彼女の意見を受け入れるしかなくなるような、そういう息苦しさを覚えます。

「きっと昆虫が生きているという意識が希薄なのね。子供の頃言われなかった?“自分がされて嫌なことを他人にするな”って。あれって相手も自分と同じように思考する尊厳のある存在だって子供はわかっていないからそれを学ばせようという言葉なのよね。結局のところ人は自分の心しか見えないから、相手にも心があることがわからなかったり忘れてしまったりしてしまうのよね」
「私は“自分がされて嫌なことを他人にするな”って言葉は嫌いです。まるで自分がされて平気なことは他人にやってもいいみたいに感じます」
「あら、必要条件と十分条件の違いが理解出来ないほど馬鹿ではないでしょう?それにその怒りってつまるところ、自分がされて平気だから、って不快なことやられた経験があるからでしょう?本質的には同じことよ。貴方は多分少数派として虐げられてきた被害者として自分を認識しているのね、だから少数派が否定されると熱くなって、多数派を嫌う」
「そうかもしれません」
「でも貴方は貴方が自分の気持ちを考えて欲しいと願っているほどに、はたして人の気持ちを考えているのかしら?貴方は被害者としての自分しか見てなくて、加害者としての自分を見ていないんじゃないかしら?そうした自分勝手な矛盾、子供じみた感情が貴方の四肢切断ダブルピースにはある気がするのよ」
「確かに四肢切断ダブルピースは社会的に見たら加害者でしょう、それくらいはわかっているのです」
「だから、そういうことじゃないの。四肢切断ダブルピースが社会的倫理的に見て問題あるから駄目といっているんじゃなくて、貴方はあくまでもあなただけで破滅する」
「そう言われても納得できません。それに私はすでに革命家と求道者の助力を得ています。すでに四肢切断ダブルピースは私だけの問題ではなくなってしまったのです」
「でしょうね……。別にこれで処理をしてもかまわないのだけれども」

刃物と思われる金属が喉に触れます。

「とはいえ、まだ危険でない貴方をどうにかしようとは思わないし、かといってこれから悪しきものになろうという人をおいていこうというのは気が引けるわね」

彼女は悩ましげに肩をすくませます。

「そうね、そもそも貴方は何故四肢切断ダブルピースにそんなに引かれるのかしら?きっとそこに答えがあって、そしてそこに矛盾がある。例えば君は女性を苦しめるのが好きなの?」
「少なくても私は、女性を殴ったり……痛がらせたりするのが好きというわけではありません」

そう答えたあと自分でふと考えます。例えば私は女性を決して殴りたくはない。
私は四肢切断の逃げられない、抵抗できないというところに魅力を感じるのであって被虐趣味というわけではない。しかし、結果として彼女たちが苦しむような行為を楽しんでいるのは確かです。それはあるいは女性を苦しめるのが好きということにならないでしょうか?

「言われてみてようやく女性が苦しむことが実感できた、という顔だな。そうだな、世界には自らの四肢の欠損を望む人間がいる、ということを知っているか?」
「そのような人がいるのですか?」
「自らの身体の欠損を望む人間、Body Integrity Identity Disorder――――B.I.I.Dと呼ばれている。このB.I.I.Dにより自らの身体をチェーンソウや鉄砲、液体窒素などで欠損させるという事態が何件か報告されている。世界には同様の症状の持ち主が数千人程度いるという予測がある。まあ、最も60億人の中の数千人じゃあ気にするほどの数ではないけど。どうして彼らは自らの身体を欠損させたがるのか。きっと貴方にはわからない」
「そうですね」

もちろんわかりません。でも、それは私だからわからないのでしょうか?おそらくこの世界に存在するほとんどの人、それこそこの世界にいるという数千人のB.I.I.D以外は自らの身体を欠損させたがる気持ちなどわからないのではないでしょうか。
そして、この世界に数千人ばかり自らの身体を欠損させたがる人がいたとして、それが四肢切断ダブルピースとなにか関係あるとは思えません。
彼女の喋り方はとても移り気で、ころころ変わり、そして私を苛つかせます。

「その話と四肢切断ダブルピースと、なんの関係があるのか、って態度ね」
「それも、貴方の世界の声とやらが教えてくれるのですか?」
「違うわよ。そんな不機嫌な声で喋ってたら小学生だってわかるわ。貴方はや求道者は人の本質はあくまで意志であり、身体はそれを社会に対して示すための出力手段、感覚は社会から意志に影響を与えるものと定義した」

彼女が知れるはずのない私と求道者の会話を知っているのはもはや慣れました。
そうです、私と求道者はそういったモデルの中に四肢切断ダブルピースとは完全なる自由の剥奪であると、そう見いだしました。

「しかし、そんなに身体って『私』にとってそんな単なる道具なのかしら?貴方たちは身体を軽視しすぎている」
「確かに身体は大切です。しかし『私』とは、この『私』と自分のことを認識する意志のことを指すのではないでしょうか。例えそれが脳という物理的な器官が生み出すものであってもです」
「私は『世界とは一つである』という大いなる観念に掴まれ、『自分』と『他人』、『身体』と『世界』の境界を世界の戦士だからこそわかる。人は本来自らの身体が自らの身体でないという感覚に耐えられないものなのよ。『身体』は貴方が思っている以上に人にとって大切で、四肢切断は貴方が考えている以上の影響を与える」
四肢切断の与える影響?」
「そう、B.I.I.Dの患者の脳を調べたところ、自らの身体の一部を自らの身体だと認識出来ていないそうよ。それが脳の障害なのか、それとも精神が脳に与えたのかはわからない、でも彼らの脳は身体の一部を完全には認識してない。ただそれだけ、自分の身体が自分の身体のように思えないというだけで彼らは自らの身体を欠損させたがる?分かるかしら?貴方がただ道具と見なした身体が『自分』にとってどれだけ大切なのか」

彼女の移り気でころころと変わる会話は人間と話している気がしません。様々な発想や連想から干渉を受けどこにもいけないようで、それでもまるで虫の群れや"連合"のように全体としては一定の方向に進んでいるように感じるのです。
それが何に似ているかというと、言葉にするまえの思考そのものに似ています。まるで一人で何かを考えているかのようです。まるで私は議論するのではなく思考するかのように会話をしていました。
違うのは†紫龍†という明らかな異物がその中に含まれていること。まるで、『私』という境界がなくなり、誰かと混ざってしまったまま思考しているかのようです。
そしてまた彼女は口を開きます。

十一、

f:id:semimixer:20140102222306p:plain

貴方がそのような感覚を得た理由はわかる。私――――ここでいう『私』とは†紫龍†のことよ。彼女だってそういう感覚は持っていた。人の本質は『意志』であり、『立場』や『身体』は枝葉末節に過ぎない、ってね。
私たちはそういうものから解き放たれたコミュニケーションをし過ぎた。わかるでしょ?インターネットのことよ。それこそ蜘蛛の巣のように世界に張り巡らされたインターネットは身体のないコミュニケーションを実現させる。誰もがお互いに顔の知らない"連合"がお互いを身内だと認識したように、身体のない、立場のないコミュニケーションがそこでは実現される。
インターネットは決して魔法ではない、軍用の技術に過ぎない。それも民間に下りて多くの人が利用している。私や貴方みたいな、ね。だからこそ当然無制限にデータを送れるわけではない。送れるデータの量には制限がある。だからこそ本質を切り出して通信をしなければいけない。
そういったハード的な誓約から生まれたのが『身体』のない『意志』だけのコミュニケーション。文字によるコミュニケーションには声がなく、声の持つ性別や感情などの情報も必然的に抜け落ちる。声の個性、声の震え、わずかな身じろぎ、表情、呼吸、距離、そういったものはコミュニケーションからなくなってしまった。
それは回線が高速になった今でも同じ、どんな手段を使っても無限にデータを送れるわけではない。そこには必ず取捨選択が存在する。
例えばオレオレ詐欺、今は振り込め詐欺って名前になったんだったかしら?あれにどうして人が騙されるかというと電話から流れてくる声はあくまで、合成して作られた元の声に近い音声に過ぎないから。ピッチ周期やパルスの大きさ、そしてフィルタ係数、あくまでコミュニケーションに大切な要素だけ抜き出して送る情報を取捨選択している。
しかし、誰が本質を決めるのかしら。
貴方たちが人の本質は意志であると決めたように、情報においては言葉が重視されてそれ以外の要素は切り捨てられる。誰かが本質を定めてそれ以外の部分を切り捨てる。なんの注意も払わず、無造作に。
貴方は『意志』というものをとても尊重している。信仰していると言ってもいいかもしれない。それはとてもとても大切で、誰にも決して触れられないものとしている。だから貴方は四肢切断ダブルピースの本質を『完全なる自由の剥奪』と直観した。
そうじゃない、アルコールでも精神安定剤でも『意志』に対して外から干渉することは可能だ。そして四肢切断ダブルピースは貴方が尊重する『意志』を徹底的に偏執させてしまう。
芋虫になり、人の身体と立場を失ったグレゴール・ザムザがどうなったか。
貴方が尊敬している誰にも触れられない『意志』などというものはどこにもない。四肢切断も、ダブルピースも、それを大きく歪めてしまう。
おそらくは貴方のその無自覚さが貴方の四肢切断ダブルピースを歪めている。そこにはおそらく矛盾があり、その矛盾が貴方たちを破滅させる。四肢切断ダブルピースに触れて心惹かれた全てを巻き込んで、ね。

f:id:semimixer:20140102222315p:plain

確かに私は四肢切断ダブルピースされる側に対してあまりに考えていなかったのかもれない。
でも、結局のところ性的なコンテンツというものは対象を道具にすることではないでしょうか。貴方のいうことは正論かもしれません。いえ、おそらく正論でしょう。
ですが、そんな正論は聞き飽きているのです。四肢切断ダブルピースが酷い行ないで、相手のことをまったく考えていないということくらい私だって言われるまでもなく知っています。
でも、それがなんなのです?ならば四肢切断ダブルピース以外の趣味は高尚だとでもいうのですか?脳姦は?屍姦は?脳は、胎児は、昆虫は、どうだというのです。
貴方はそれら全てを倒すのですか。

そういうことではない。何度も同じことを言わせるな。そういうことではないんだ。そこに矛盾がある、だから破滅する、私はそういっている。
結局のところ四肢切断ダブルピースというのは……対象の属性ではなく貴方の意識の投影なのかもしれない。

投影?

そうだ、例えばメジャーな萌え属性として、妹という属性は3つの要素の重ね合わせであるといえる。
一つは社会の規定する妹。一つは妹自身が自分のことを妹だと認識するという妹。そして、貴方が妹を見るとき貴方が対象を妹だと認識する、投影のしての妹だ。
この話はもう革命家としたはずだな?私たちは属性そのものに萌えていない、それ自身は様々な要素の集合つけられたラベルに過ぎないと。故にその本質を見つけなければいけないと。
そして君は四肢切断ダブルピースの本質は完全なる自由の剥奪とした。だが、『完全なる自由の剥奪』のどこに萌えているのか、さらにそれを明らかにしなければいけない。
『完全なる自由の剥奪』とは一体誰にとっての『完全なる自由の剥奪』なのか。

それはもちろん女性にとっての『完全なる自由の剥奪』でしょう。
四肢の切断による外への干渉を封じる自由の剥奪、快楽による感覚からの自由の剥奪、強迫による社会的な自由の剥奪、三重の自由の剥奪こそが四肢切断ダブルピースの本質だと、私たちは直観しました。

そうね、貴方はリア充という言葉を知っている?

はい、知っています。
元々は、2ちゃんねるの大学生活板で使われていたリアル充実組という言葉で、いつの間にか略称だけが広まったと効いたことがあります。

その定義は?

最初は友達が一人でもいればリア充とされたそうですが――――今は不明です。
私の見た中で最も広い定義は「店員さん以外の人と話すのはリア充」というものですね。まあ、それは流石に広すぎるでしょうが。
恋愛や仕事に対して充実している人、という漠然とした定義になってしまっているでしょう。

それもそのはずだな。あれは実のところ対象についたレッテルではない。あれは自らの「妬ましい」という感情についたレッテルに過ぎない。妬ましいという感情の投影先がリア充なのだ。だからこそ人によって定義は違っても、定義が曖昧でも誰もなにも困らない。本質は常に動かないからだ。
さて、実のところ実のところ君の四肢切断ダブルピースも同じなんじゃないか?四肢切断ダブルピースの本質を君は『完全なる自由の剥奪』と言ったが、それが世界に顕現する形というものは重要ではないのではないか。
君の魂は女性に対して『完全なる自由の剥奪』を求めている。それが全てで、この旅は終わりでいいのではないか、そうは思わないか?

私は

十二、
「それでも、四肢切断ダブルピースがどういう形で世界に顕現するのか、それを知りたい」

はっ。
まるで自分の寝言で目覚めてしまったかのような感覚を覚えます。
気づけば私は一人で歩いていました。
対話が確かにあったのは覚えています。彼女の存在は幻想では在りませんでした。しかし、その会話がいつ終わり、いつ私は一人でまた歩き出したのかは憶えていません。
そして、気づけば目の前には僧院がありました。私は目的の場所にようやくついたのです。

「私はそれでも、四肢切断ダブルピースがどういう形で世界に顕現するのか、それを知りたい」

口の中で先ほどいった言葉をもう一度呟きます。
だからこそ、四肢切断ダブルピースをめぐる冒険はまだ続きます。