四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(関連研究)

長くなりすぎたので公開予定範囲を縮めたら四肢切断ダブルピースについてまったく語っていないお話になった。あと、3章構成のつもりでタイトルとかつけてたけどそうでなくなったので過去の公開分も含めてタイトル変更。

しかし、これあと2章か下手すれば3章必要っぽいんだけど本当に終わるのだろうか……。

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(背景と目的)

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(提案手法概観)

 

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険

七、
「四肢切断ダブルピースの満たすべき条件、その本質はわかった…………しかし……物理的な解決をしなければ四肢切断ダブルピースの発見とはいえない……君はこれから『完全なる自由の剥奪』というゴールに向けて道をつくらなければいけない」
「しかし、本質が分かったこと。それは間違いなく前進です。貴方の協力のおかげで進むべき道が見えよう思います。感謝します」

そう、それは確かに前進でした。これまでは四肢切断ダブルピースを探すといいながら四肢切断ダブルピースが何かすらわからなかったのですから。それは方位磁針も地図も持たずに海に出て目的地を目指すのに似ています。これまではたまたまたどり着いた島に降りてしばらく探索し、そして明確な基準もなくそれが四肢切断ダブルピースかどうか判断しなければいけませんでした。
しかし四肢切断ダブルピースの本質がわかった今、『完全なる自由の剥奪』がどうやって実現するのか、それを考えていけばいいのです。

「しかしこの後の物理的な解決に関して僕は無力だ……だが乗りかかった船だ……仮に僕ならばどうするかという話はしておこう……」
「ありがとうございます」
「君がこれからなにをすべきか決めかねているのなら僕が修行を行った僧院に行ってみてはどうだろうか……」
「それは“連合”のオフ会で使用したという僧院ですか?」
「そうだ……君はすでに答えを出していてその上で答えを見つけられないというのなら……自らと向き合い続けるしかない……ならば瞑想を続けること……それが一番の近道だろう」
「瞑想、ですか。それは具体的にはどうするのでしょうか。」

求道者は瞑想とは自分の意識の流れの観察を行ない僕たちは徹底的にその解体を行うことと言いました。しかし、それだけ言われて“さあ、瞑想しろ”と言われてもなにをやればいいのかわかりません。
これまで求道者は多くの一見すると神秘的な言葉を口にしてきました。しかし、それらは説明を求めよく聞くと多くは納得できるものでした。瞑想についても多くを聞けばあるいはそれは納得のいくなにかなのかもしれません。

「君は瞑想に関しての説明を求めているようだが……あの感覚を言葉で説明することはできない……いや、言葉で説明できないからこそ瞑想をすると言うべきか……しかし、一応君の期待に応えられるよう頑張ってみようか」
「よろしくお願いします」
「人は主観によって世界を歪めている……一つはまるで自分というものがあるという錯覚……そしてもう一つが世界を細かく分類する動きだとすでに言ったな……」
「はい、他者と自分と物体の線引きがないどこまでも続く世界こそが世界の真の姿だと」
「そうだ……そこに至るのが瞑想の第一段階だ……しかし、同時にそうして世界を細かく分類する思考操作は生きていく上で必要で……正気を保った生物である以上なかなかそれを消すことはできない……だからこそ坐禅を組み自らの身体を安定させ、目を瞑り、呼吸を落ち着かせて……世界からの影響を最小限にしなければいけない…………そのとき人は初めて自分の意志だけと向き合うことができる……そしてその瞬間が訪れるのを待ち続ける……」
「その瞬間、とは?」
「大いなる観念に掴まれる瞬間だ……人は言葉によって思考して、言葉によって世界を分解して認識する……しかし、気付きは言葉に先行する……気付くのが先でその後に言葉にするのだ…………だが、新しい観念はそう簡単には既存の言葉によって説明されない……その新しい観念は言葉にされないが故にただの“感覚”であり……一瞬で消えてしまい……多くの場合自分がその観念を得たことすら気付かない……だからこそ瞑想によって魂を純化させ……言葉で思考するのをやめて……その一瞬で消え去ってしまう大いなる観念に掴まれる瞬間を待たなければいけない…………その言葉にできない観念を言葉にしないまま扱い……自らに固着させなければいけない」
「四肢切断ダブルピースの観念をそうして捕らえたとして、ならばそれは新しい概念であるが故にいつまでも言葉にできないというのですか?」

新しい概念は言葉で表すことはできない、それは確かにそうでしょう。言葉とはすでにあるものを組み合わせて概念を表すもの。すでにある概念の結合で表すことのできない概念は言葉では表せないのです。
しかし、それは孤独です。四肢切断ダブルピースを見つけたとして、私は誰とも私の四肢切断ダブルピースを共有することができないのです。革命家とも、求道者とも。
しかし、求道者は口の端を軽く吊り上げ首を横に振ります。

「すぐには言葉にできないだけだ……その観念、その感覚を逃さないように固着させたあとゆっくりと言葉に変換するなり、絵にするなりすればいいさ…………大切なのは大いなる観念に掴まれた瞬間を決して逃さないことだ…………君が目指すものは自らの革命、究極の自殺とも言うべきものだ……」
「自らの革命、究極の自殺」

オウム返しに求道者の言葉を繰り返すことで続きを促します。

「人は寒さや暑さより暖かさを求める……しかし、ただ脳内物質が生み出す快楽だけを行動の指針として寒い場所から温かさを求めて移動するだけの生は原生生物のそれとどんな違いがあろうか……人は豚だと革命家は解いた……だが自らが豚だと認識出来るその一点においてのみ人は豚と明確に差別される……だがそれだけでは意味がない…………仮に人が自由で……生物であることから解放されるというのならば……人は信念のために自殺をしなければいけない……苦痛からでも錯乱からでもない、信念のための自殺ができるということ……それだけが人間を動物から解放する唯一の証明……それが自らを革命するということだ……生物であることから解き放たれたとき人は信念を達成するための一つの機能になる……もはや暖かさを求めず信念のために寒さや暑さを選べるようになる……」

生物である以上は生きて子孫を残そうとする。それは絶対です。人は死を恐怖する。しかし、その恐怖を我意によって乗り越えることができれば人は生物という現象から抜け出せることになる。それはあるいは人間が豚とは違う、自由の証明でしょう。

「内的世界の変革は究極の目標であり同時に最初の一歩であるといったな……それはこの場合も成り立つ…………君の中にすでに答えがあるのにそれが見つからないというのならば……それは君自身がまだ答えを出す形になっていないということだ…………君は四肢切断ダブルピースを見つけるという目標を持っている……故に君は完全な自殺により自らを革命しなければいけない……」

革命家は特権的な生き物であることをやめて萌え豚に還元されるべきだと主張しました。その言葉の通り求道者は萌え豚として生きています。しかし、その求道者が何故特権的な生き物になるよう言うのでしょうか。

「でしたら、貴方は何故人でなく萌え豚なのですか?貴方であれば究極の自殺を経て自らを革命することができるはずです」
「僕の目標のために萌え豚になることが必要だったから僕は萌え豚になった……もし萌え豚が救済されないのなら……そんな救済には意味がない……僕はただあるがままの原生生物として救済を探す…………だが君は違う……君が目指すものは人間にしか達成できない……」

おかしなことでしょうか。求道者の言葉を聞いていると私は四肢切断ダブルピースを確実に見つけられるような気がしてくるのです。その僧院に行き瞑想をすれば、きっと四肢切断ダブルピースを見つけることができると、私にはそう感じられるのです。

「僧院への地図を書こう……君は車の免許は持っているか?」
「いえ、持っていません」
「そうか……ならばつらい道のりになる…………あの僧院は最寄り駅から3時間近く歩かなければいけない……また、おそらくまだ最寄り駅はSuica改札がないはずだから注意したほうがいい……Suicaで入場してしまえばおそらく駅を出る手段がない……必ず切符を買って目指せ……」

Suicaとは Super Urban Intelligent Card の略で東日本旅客鉄道東京モノレール、東京臨海高速鉄道等で導入されている共通乗車カード、そして電子マネーのことです。
事前に入金することで自動券売機で乗車券を買わずに改札を通過して乗車できる非常に便利なものなのですが、Suicaに対応している改札でなければ使えません。つまり、Suicaに対応している改札がある駅で入場して、目的地にSuica対応の改札がない場合はせっかく目的地まで行っても外に出ることができないということになります。

「さて、あの僧院は来るものを拒んだりはしないだろうが……一応僕からメールを出しておく……もっとも当時のメールアドレスをまだちゃんと受信しているかはあやしいがな…………あそこの僧院を運営しているのはかつての“連合”のメンバーだ……」
「“連合”……」
「そう……“アラハン”と名乗っていた……」

アラハン、その単語は聞いたことがあります。たしか漢字では阿羅漢と書き、元はサンスクリット語から来ている単語だったはずです。確か意味は、尊敬されるべき修行者。

「あの男であればおそらく君の話を聞けば力になってくれるだろう……あの男であればあるいは僕には出せない答えを出せるかもしれない……」

求道者の言葉にはアラハンという男の能力に対する深い信頼があるように思えました。革命家と求道者、どちらも卓越した技能を持ち同様に尊敬できる人間のように私からは見えるのですが、もしその“アラハン”という男が求道者すら見上げる存在であるのならそれはどれほどの存在なのか想像もつきません。

「その方は力になってくれるということは親切な方なのですか?」
「親切、か」

まるで私が面白いことを言ったかのように求道者は笑います。

「そうだな……あるいはあの男ほど純粋に親切な人間を僕は知らないかもしれない…………大概の場合は人が親切であるのにはなにか理由がある……それは良好な関係の構築という利害意識だったり、あるいは幼い頃からの教育による倫理意識がもたらす強迫観念、あるいは苦しい人間に感情移入して不幸な気持ちになってしまうが故の感情的な理由……だが、あの男にはそんなものは存在しない……あれはただ親切であるために人に親切にしている……酷く純粋な親切さだ……」
「つまりそれは完全な理性による道徳心のみで他人に親切にしているということですか?」

それは、つまり超人と言うことなのではないでしょうか。

「それはどうかな……あの男の親切さには理由がない…………それはサイコロを振ったら二の目が出たからといったような親切さだ……別の目……例えば残酷の目が出たとしたらあの男は50億の人間を殺戮しても眉一つ動かさないだろう……いわばあれの親切はそういう類の親切だ…………しかし、アラハンか……懐かしいな」

ぼつり、と求道者はつぶやきます。

「“革命家”、“アラハン”、“†紫龍†”、“魔術師”、“不在証明者”、“鬼”、“トンガリ帽子”、そしてこの僕、“求道者”……僕たち“連合”のメンバーはいつだって救済を求めて話し合っていたが……あの男はおそらく一番救済に近かった…………あるいはあの男なら……僕が今探している救済の真実にもうたどり着いているのかもしれないな……」

八、
JR秋葉原駅からJR京浜東北根岸線大船行きの電車に乗り、そこから何線か乗り継いで目的の駅にたどり着きました。無人駅を出ました。そこはオシャレな街でしたが不思議と活気というものをまったく感じません。
求道者の書いた地図をみながら歩きます。だんだんと不思議な気持ちになってきました。革命家の紹介を受け求道者の元に行き、そしてこんどは求道者の紹介でアラハンという男のところにいこうというのです。そしてその3人は“連合”という集まりにかつて所属していたという共通項があります。そこになんとも不思議な縁を感じるのです。
駅を降りて革命家の描いた地図に従って40分ほど歩くと、看板が見えました。

f:id:semimixer:20120628042013p:plain


地図にある通りです。私はどうやらちゃんと正しい道を歩んでいるようです。そして看板に書いてある通りそこには鬱蒼とした森が広がっていました。鬱蒼とした森林の中にぼつぼつと童話の中でしか見たことがないようなレンガ造りの家が並んでいます。いえ、きっと本当はレンガで作ったわけではないのでしょう、見た目とは違いそれらは現代のもっと発達した建設技術と素材によって作られているはずです。

f:id:semimixer:20120628045902j:plain

何度修理された痕跡のあることからわかるのは大切にされていた過去
壊れたまま放置されていることからわかるのはもう大切にされていない現在
大木の根が破壊したアスファルトの地面からわかるのはより破壊が進む未来

それらの暖色の家がろくな管理もされずに蔦が這い落ち葉に埋もれているところはなんだか悲しい気持ちになります。人が住んでいる形跡はまったく見えません。蜘蛛の森ドリームヒルズ管理組合とやらがいるらしいですが、おそらくもう管理は放棄したのでしょう。そう感じさせるほどに全ては破壊されています。

f:id:semimixer:20120628045746j:plain

人が最も歩くはずのメインストリートでさえ落ち葉で覆い隠されている
暖色のタイルは落ち葉の茶色と一体化して境目が見えない
そういうデザインのタイルかのように錯覚してしまう
踏みしめる落ち葉の感触だけが落ち葉が本物だと教えてくれる

何故このような誰もいない童話のような住宅街が森の中にあるのかは、わかりません。しかし、推測はつきます。おそらくはバブルの時代、投機目的となった住宅の製造、それがこの不気味な住宅街を作り出したものの正体でしょう。東京のこの森を開拓して、住宅街を作り、そして大々的に販売するつもりだったのでしょう。おそらくはあの人気のない無人駅もその計画の一端。しかし、バブルははじけこの住宅を買う人間も、これ以上この住宅街を開発する人間も、そして管理する人間もいなくなり、このような不気味なゴーストタウンが出来てしまったのでしょう。

f:id:semimixer:20120628045941j:plain

劣化した小人
童話の名残
夢の跡
楽しくしようとした分だけの寂寥感がそこには残る

森の中を歩き続けます。開発が途中で止まってしまったためか放置された時間が長すぎたせいか、鳥や虫、小型の獣などの気配をそこかしこに感じます。

ブウウ――――――ンンン― ―――――ンンンン………………。
 いくつもの虫の羽音が重なった音が接近してきました。集団で飛び回っています。気付いたときには集団で飛び回る羽虫の中に身体を踏み入れていました。私は鼻や口に羽虫が入ることを恐れて、鼻と口をとっさに手で覆い目を瞑り、羽虫の集団が通りすぎるのを待ちます。
数秒の後、羽虫はそのまま私を通り過ぎて後ろ側に消えていきました。私は口と鼻を覆っていた手を外しふと考えます。決して羽虫の集団は真っ直ぐと飛んでいるわけではなく個々の虫たちは自由に飛び回っているように見える、しかし確かにその集団には進行方向というものがある、これはどういうことだろうか?個々の虫たちはバラバラに飛んでいるのにその集団は真っ直ぐと進む、それはおかしなことではないでしょうか。
そのときふと求道者の言葉を思い出しました。

僕らは討論し続けた結果として同じ言語でアニメを語るようになっていた。決して全員が同じ意見の持ち主というわけではない。お互いを特別と位置づけた僕と革命家ですらただの一度も同じ意見に達したことはない。だが、同じ言語、同質の切り口、同等の問題意識、そういったものを僕らは確かに共有していた。それが「救済」だ。

それはつまりさっきの羽虫たちと同じことなのではないでしょうか。個人個人は別々の考えを持ちながら集団としては元いた場所からどこかに向かって遠ざかっていく。その進む方向は誰も知らない。誰が制御しているわけでもない。
ああ――――“連合”のことを考えると私の胸は熱くなります。私は“連合”のメンバーを二人しか知りません。私の良き友であり尊敬できる革命家、そして私に色々教えてくれた賢く強い求道者。その二人は共にとても魅力的で、私に新しい考えや手法を示してくれます。
だからこれから出会う三人目の“連合”メンバーであるアラハンにも私は大きな期待を抱いていました。そして出来ることならまだ見ぬ“連合”のメンバー、“†紫龍†”、“魔術師”、“不在証明者”、“鬼”、“トンガリ帽子”に会いたいとすら考えています。彼らに出会えれば新しい道が開ける、そう思うのです。

「ねえ、そこの貴方」

女性の声がしました。その声は上から聞こえたように感じましたが、私は後ろに振り替えしました。
上から声がしたような気がしたが上に人がいることはあり得ない、おそらく反響でそのように聞こえてしまっただけでしょう。そして、その声をかけてきた人間が自分の視界にいない以上はおそらく後ろに声をかけてきた人はいるはず。
そのときは、そこまで理路整然と考えていたわけではありませんが整理するとそういう風に考えたのだと思います、とにかく私は反射的に後ろを見ました。
ガサリ、今度こそ間違いなく上から音がして、そして上から振ってきた何かは私の前――――今の私は後ろを向いているのでその姿は確認できませんでしたが――――に着地しました。

「上から声がしたのだと思ったんでしょう?だったら素直に上を探した方がいいわね、そのほうが長生きできることもある」

それは女性の声でした。振り向こうとしたところを首筋に何か冷たいものが押し当てられました。その冷たさは氷の冷たさではなく、金属の冷たさで、おそらくは刃物なのだろうと推測します。
私は酷く混乱しました。何故このようなアニメやジュブナイル小説の中でしか見たことがないような状況が突然やってきたのか。私は唐突に首筋に刃物を押し当てられても納得できるような過去がないか必死で自分の記憶を漁りました。一つだけ思い当たります、蜘蛛の森の入り口の看板です。
家の見学はご遠慮ください、確かそう書かれていました。私はこの奥にあるという僧院を目指しているため、用のないというわけではないのですが家の見学に来た人間だと勘違いされてしまったのかもしれません。あるいは、こういったゴーストタウンは浮浪者や暴走族などのたまり場になりやすいと聞いたことがあります。そういった存在の縄張りや抗争などがあり、ここに足を踏み入れてしまったことで刺激してしまったのかもしれません。

「申し訳ありません、私はこの先の僧院に用がありここを歩いているだけです。なにか人違いなどではないでしょうか?」
「その台詞は違うわね。貴方は私に会いたいとそう考えていたはずよ」

この女性の正体を考えるヒントになりそうな言葉がでました。この女性に私は会いたいと考えていた。もちろん、彼女がそう誤解しているだけで私は別に彼女と会いたくなかったという可能性はありますが、例えそうだとしてもそう勘違いさせるような振る舞いを私はしたはずです。もっとも、それは彼女が正気だという場合に限りますが。
私は必死で考えます。しかし、一向に心当たりはありません。小学生だったときの友達から、最近部屋から逃がした蜘蛛が恩返しのために人間になって戻ってきた可能性まで考えましたが、それでもわからないのです。

「非常に申し訳ないのですが、やはり心当たりがないのです。いったい貴方は誰なのでしょうか?」
「だって貴方はこう考えていたでしょう?“連合”の構成員に会いたいって。私は元“連合”の†紫龍†」

私は息を飲みました。確かに私は考えていました、“連合”のメンバーに会いたいと、彼らであればなにか私にもラらしてくれるのではないかと、しかしそれを口にしたことはないのです。それどころかついさっきふと思っただけなのです。

「なんでわかるの、って感じね?」

楽しそうに彼女――――†紫龍†は呟きます。

「私には聞えるのよ、世界の声がね」
「それはどういうことなのです?」

よくわからなかったので私が尋ねると†紫龍†は如何にも面白いことを言われたとでもいうようにクスクスと笑いました。

「普通この状況でそれを聞くか?まあいい、聞かれたからには私も教えたいのだけれども、こればかりはわからない人間には上手く説明するのは難しいわね。別に超能力というわけではない、私もお前と同じように視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、臓器感覚に平衡覚、そういった当たり前のもので世界を認識している。それでも私にはわかるの、人にはわからないものがね」
「それはつまり推理ということですか?」
「推理とは観察により抽出して推論を立てて筋道に従ってものごとを読み解くものでしょう?むしろその逆、これはどちらかというと革命家や求道者のいうところの真実に飛翔する能力ね。複雑系を要素に分解して抽象化して認識すると言うことをせずにその中から特有の傾向を直観する。この世界は複雑だが同時に自己相似を発見できれば分散パターンから効率的に圧縮が可能になり予測や推測が立ちやすくなる」

求道者の言葉を思い出します。
その通り、非論理的です。しかし、論理だけが唯一の真実にいたる道筋ではないことはさっき言った通りです。いいですか?科学上でなんらかの画紀元的な進展を与えた新しい観念のほぼ全ては推論から導かれたものではなく最初から知っていたものなのです。アインシュタインは17歳のときはすでに相対性理論を知っていました、ただ理論化に時間がかかっただけなのです。考えてもご覧なさい、相対性原理、素粒子力学、波動力学、こういった概念を推測や解析だけでどうして組み上げられるでしょうか?彼らはすでに見えているゴール地点に向かって理論を積み上げていったのです

サヴァン症候群というものについて聞いたこと、ある?」

サヴァン症候群、聞いたことがあります。
発達障害や精神疾患の患者の中にまれに現れる、まるでその他の能力の全てを捧げた代わりに神から特定分野での才能を与えられかのような特化型天才。特に理論的思考能力や言語能力が低いことが多いそうです。
例えば絵画、一度、それも一瞬だけ見ただけの景色を精確に描き起すことが出来る。
例えば暗記、元素の周期律表や円周率を暗唱することが出来る。
例えば計算、四桁同士の掛け算を一瞬で計算し、数万の数字を一瞬で素因数分解し、数百万の素数を次々と羅列する。
他にも、特定の日にちの曜日がわかる。時計も見ずに毎日まったくの同じ時間にテレビの電源を入れる。本人どころか周囲の人間ですら予見していなかった来訪者を予見する、などの報告もあるそうです。

「四桁同士の掛け算を一桁目を掛けて繰り上がりを足して、などと繰り返していてはどうしても時間がかかってしまう。繰り返しによる逐次的な計算はどんなに桁数が増えてもいずれ計算が終了するが、逐次的であるが故に一瞬で答えを出すことはできない。しかし、もしもどんなパターンがあるかを直観して全体像を把握することができれば、三桁同士の掛け算であろうとも手順を踏まず一括の処理で答えを出すことが出来る。私の世界認識とはそういうったものだ」

逐次的、つまり順番に処理をしていくと時間がかかりすぎる。それはわかりました。しかし、それ以上のことはわかりません、パターンを直観して全体像を把握する、それは一体どういうことなのでしょうか。

「だから説明するのは難しいと言ったでしょう。論理的に話せばわかる、とはよく言われる言葉だが、この場合は対象は論理的に説明することのできない、理論的でないが故に理論では出せない答えを出し理論より早いという話だからな。そうだな――――JPと呼ばれる男性がいる。彼は2002年に殴る蹴るなどの暴行を受け、脳に損害を受けた結果としてサヴァン症候群を身につけた。脳機能の一部に機能不全が起こることでサヴァン症候群が身につくケースというのは過去いくつか報告されているケースだ。彼はその事件のあと世界の見え方が変わり――――鮮明なフラクタルのイメージが見えるになったそうだ。このフラクタルこそ私たちの世界認識において重要なものだ」
フラクタル……東浩紀が制作したアニメですか?」

フラクタルA-1 Pictures制作のアニメです。私は観たことがないのですが、。東浩紀が初めて制作に参加したアニメであり、また監督の山本寛が「この作品が失敗すれば引退も辞さない」と発言する程の並々ならぬ意気込みを語っていたこともあり話題になったようです。

「いや、幾何学の概念だ。例えば有名所だとリアス式海岸
「ああ、そういえば聞いたことがあります。確か複雑な形状ですが、拡大するとまた同じ形状が出てくるとかなんとか」
「そう、全体像のある部分を拡大してみると、全体像と同じ形状が見つかり、そしてそれを拡大するとまた同じ形状が見つかる。フラクタルとはそういう入れ小型構造のパターンのことを指す」
「それが何かサヴァンの話と関係あるのですか?」
「例えば貴方はリアス式海岸フラクタルだと気付かなかったとしましょう。私はそれを知っている。すると貴方はその形を憶えるのに酷く苦労するけど、私は一部の形さえわかっていれば描き起こせるから一瞬見てパターンさえわかってしまえば憶えられるし、描くこともできる。あるいはある部分の形状を聞かれたとしても全体図を思い描ければぱっと答えることが出来る。それは貴方からみたら卓越した記憶力、あるいは超能力の持ち主に見えるでしょう」
「なるほど、それと同じことをより複雑にやっているということですね?」
「そうだ。ところで――――そろそろこれの話をしないか?」

彼女はそういって私の首に押しつけてる金属物体――――おそらくナイフでしょう――――を振るように動かしました。そういえば忘れていましたが私は突如背後に現れた彼女になにか突きつけられていたのでした。

「そんな大切なことを忘れるとは少々君は逸脱してるな。四肢切断ダブルピースを追う前からそうだったのか?」

不思議なことを彼女は言います。私が少しばかり常識的でない行動をしてしまったのは私も認めるところですが、まるで彼女はそれが私が四肢切断ダブルピースを求めたことが原因かのように言うのです。

「私はお前に警告しに来た。四肢切断ダブルピースを追うのは止めろ――――それは世界を悪い方に導く。君は今、悪しきものになるかどうかの境界線上にいる」

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険はそれでもまだ続きます。